れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと15通です。

 参議院で予算が通過しました。我が国は与野党ともに情けない。内向き政策ばかりそれも大衆迎合主義(ポピュリズ)予算です。

 今、世界は大きく変わろうとしてます。良きにつけ悪しきにつけ。なのに日本は曲学阿世の徒(大衆迎合主義)です。

  今、大切なのは教育無償化(これは完全に憲法「典」違反ですが誰も声を上げない)や、医療費のへ値上げや、なんたらかんたら。情けない。かつてのイギリスでは戦争に勝てる人が首相になりました。今の日本だとドラえもん型武装中立が実現できる人が首相になるべきです。そして、世界に平和を唱える人が。

 なのに、大衆迎合ばかりではなく、世界の動向に迎合している政治です。

 国家経営の意思などまったくない。利権だけで動いています。与野党とも。私の愛する日本はどこに行くのでしょうか?

 国民も悪い。でしょう、私たちが主権者です。自分に都合のよい政策をしてくれる人間に投票するのではなく、国家をどうするかです。

  敗戦時、日本から軍隊がなくなりました。その時、引揚者などはどんなに惨めな思いをしたか。天皇陛下がおわさなかったらとっくに潰れていました。国民よもっと自覚を持ちませんか?そろろ目を覚ましませんか? でなければ、民主主義なんてあり得ない。国民主権などありえない。陛下に大政奉還しますか?

 立憲民主党も情けない。不信任を出すよりこのまま行った方が参院選が有意じゃないかと言っています。国民のためだからではなく、自分たちの党利党略で政治を政局に変えています。だから、立憲民主党は支持が増えないんだよ!!!

   それぞれが わがまま言うと 膨らむは わがまま予算の 国の破滅か

国を支えて 国を頼らず(福澤諭吉先生)

国とは政府ではありません。
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 昨日タイトルで書いたくさ「晦日」というとは  、「月の終わりの日」ったい。だけん年の終わりばくさ、「大晦日」げな。今日のタイトルに書いた「朔日」は月の初めの日ったい。ようと覚えときやい。

 一昨日くさ、俺が家で少し水ばこぼしたっとって。そげんしたらくさ、かみさんが、えらい怒ろうが。普通に怒るぐらいやったら俺も我慢できるばってん、これはたまらめいや。結婚前の可愛らしさやら微塵もなかったい。

  「もうこいつとは口きかん」と思っとたらくさ、昨日の昼に俺が帰ってきたらくさ(俺はだいたい昼飯を食ってから一万歩を歩くったい)、「ねえねえ、マイナンバーの更新するけん(彼女は博多弁は使わんけど記事の性質上)、スマホで上手に写真ば撮っちゃらん」というとたい。

 「昨日のあれは何やったんや。ようこげなことを笑顔で頼めるばい」と俺は思ったと。まあ、しょんなか(仕方がない)と思って撮って見せたらくさ、「これじゃだめ」げな、何遍もダメだしようが。もうTAKE10ぐらい撮りなおしたったい。俺は心の中でくさ「マイナンバーやら他の人に見せることがかなカードになしてそげんこだわるとや。どんな写真でも一緒やろうが」と思ったったい(亭主の独り言)。やおいかんめいが(どうしようもない)。「お前はSNOW WHITEの怖いお母さんか!金正日か!スターリンか!ゲッペルスか!」げな思ってしまうったい。

  怒ってもいいばってんくさ、仕事の邪魔ばせんで欲しいったい。懸命に仕事をしとっても、「ねえねえ、ちょっといい」と部屋に入ってくると。作業の時やったら聞いてやるばってん、仕事の時にくさ「今、考えとったこと」とかくさ「今までやってきたこと」が全部、頭の中から飛んでいこうが。それを言ったらくさ「じゃあ、主婦は仕事していないっていうの?」と言うとたい。そげんこつ入ってなかろうが「俺が仕事中やということやろうが」と思って時間の空いた時に「さっきのあれは何やったと?」 って聞いたらくさ。「何だっけ」とか言うとたい。女は強かばい。

  そうやったばい。今日は、昨日の旅行の続きやったね。
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 あれ? ブログ書けますね。では、今契約しているプロバイダーは何だったんだろう? まあ、書けるならいいいや。うれしか〜。

今ここに ブログを書ける 喜びを 心に遺し またブログ書く

  私の和歌は下手くそなことわかっています。昔、和歌の先生で故 河野裕子先生という方がいらっしゃいました。あの才能を天はなぜ、先生を若くして召されたのか。先生に一度、お会いしたことがあります。その時に「先生、私の和歌は下手ですよね」と言ったら、最高の笑顔で「それでいいの、最初から上手い人なんかいなんだから。日本人でしょ? それだけで和歌の素養は備わっているから。どんどん詠んでください。そうしたら必ず上手くなるから」とおっしゃられました。それからこのブログで和歌を書いていますが相変わらずのレベルですね笑笑。まあ、お付き合いください。
 
 この「寳德義一生誕百二十二年祭」の前の記事は三月十四日のホワイトデー(関係ないけど笑)に書きました。最初は、寳德家の歴史の振り返りを留める目的で書いたのですが、もっと広い意味がありました。これ、日本敗戦史を親父が書いています。これは面白い。

みんな歴史の中で生きているのこと

が、しみじみわかります。

  よく、「私は歴史が苦手です」という人がいます。前の大阪事務所の近くのお寺に「大塩平八郎とその子供の墓」が、ありました。当時の社員に「すごいな。こんな近くに歴史が眠っている」と言ったら、一言。「私は歴史が苦手です」という答えが返ってきました笑。それは学校の教科の歴史です。この人は、自分が歴史の一員だということに気づいていません

 以前に、ある企業の再生の仕事に就いたことがあります。古い企業だったので「歴史DD(デューデリジェンス:企業の人間ドック)をしませんか? と言ったらあまり興味を示しませんでした。日本には、1,000年以上の歴史を紡ぐ企業が七社あります。世界最古の会社があります。欧州の国々が国家観を持ったが、せいぜい三百年、少し、古くても五百年です。日本はこんな財産を持っています。

 今、「遺って」いる老舗企業と「残って」いない企業の違いはわかりますか? それは歴史(その会社だけではなく日本の歴史も)と常に緊張感を持って真剣に向き合っているかいないかです。

  ある、老舗企業の社長が教えてくれた言葉があります。「老舗にこだわるな。だけど、老舗を忘れるな」と。まさにそうですね。

 さて、私の祖父は、どんな歴史を歩んでいたのでしょうか。父が一族宛に書いた資料なので、父母ではなく、お父さんお母さんとなっています。親父の文章に若干私が加筆しています。
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 あっ、明日から三日間ぐらいこのブログが機能停止になるかもしれんけんお知らせしとくばい。おれがくさ、プリバイダーとの契約ば少し間違えて再度手続きし直しになるったい。ごめんなさい。もしかしたらくさ、今日がんばるけん大丈夫かもしれんったい。また、ラインとかブログで連絡するけん。

  普段は博多弁ばつかうとか?  って。実家はみんな博多弁ばい。ばってん、父母はもう亡くなっとるし、姉は博多におってくさ、妹は千葉県柏市におるけん、話す機会はあんまりなかろうが。ラインとかは博多弁ばい。

 あとは博多の友達と話す時は博多弁ったい。新幹線で移ばする時は、博多に近づくにつれてくさ、博多弁になるったい。もう小倉あたりを通過する時は博多弁ばい。

 えっ?福岡と博多はどうちがうとかって? 福岡は黒田藩、博多は徳川幕府の直轄地やったと。博多は商人の街ばい。幕府がくさ二公八民にしてくれたとって。年貢の二割が幕府でくさ、八割が民の取り分ったい。だけん、博多は商人が集ったったい、豊かったい。福岡は四公六民ったい。それでも今の財務省に六公四民よりましばい。博多と福岡は中洲で分かれとると。福岡市と博多市が合併する時にくさ、市の名前をどげんするかを話し合ったったい。議会で。そげんしたらくさ、投票が同数でくさ、議長採決で福岡市になったったい。だけん、駅の名前は博多ったい。その時の市長もなかなあ粋な奴ばい。
  
  そうや結婚ば申込に彼女の家に言った話からばい。
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  TAKE2という漫画があります。漫画を読むのかって? 私は、本も読みますが子供の頃から漫画っ子です。私たちの子供の頃は「漫画が悪書」だった時代があります。あの手塚治虫が最初の槍玉でした。手塚さんは医師でもあったので、少しエッチな漫画も描いていました。メルモちゃんなんかがそうだったかな。「性」というのが今のようにおおらかな時代ではありませんでした。TVで生理用品のCMやドラマでキスシーンなんかがあると親はすぐにチャネルを替えていました。でも、男性も女性もきちんと自然と覚えることは覚えていきました。今はそういうことを覚える機会がなくなり、それを知らないまま大人になる男性も多勢います。

  売春防止法といい、この漫画悪書論と言いい、男女差別(差別はダメだけど、男女は区別はされています)といい、喧嘩と暴力の違いもわからないで「喧嘩はダメです」と教える親・・・・等々。まともに子供が育つことを阻害する大人ばかりです。大人は小さな親切大きなお世話ばかりします。

 あっ、今の漫画はだめです。「今日から俺は」「クローズ」「アウト」などを読むと大勢で一人をなぐったり、武器を持って人を襲ったり、喧嘩で負けた相手を気がおかしくなるような拷問に掛けたり。まるで支那人の喧嘩のようです。男の喧嘩の基本は「ステゴロ(素手)のタイマン(1対1)です。その中に、少しだけ正義の人間が出てくるが救いですが(ダメだと言って読んでるじゃん!笑)。

  すべて

喧嘩はダメですと教える大人の責任

です。喧嘩と暴力は違います。喧嘩は「大切な物やコトや人を守るためにするもの」です。暴力とは「自分の都合や気分で相手を傷つけるもの」です。喧嘩はダメですと教えるので、私たちの若い時と比べて信じられないぐらいの暴力が横行しています。暴力とはただのくだらない暴力ですが、喧嘩とは暴力だけではありません。強靭な生きる意志が必要です。

  「TAKE2」という漫画は、情けない阿久津丈二という男が他のヤクザに出入りを行い死んでしまいますが、なぜか十年後の世界にタイムスリップして生き返ります。その世界でヤクザの頂点に昇りつめるサクセスストーリーです。生き返って二度の人生を歩むので、映画やドラマ作りの「撮り直し」の言葉をつかって 「TAKE2」と言います。その中ではヤクザのあり方やヤクザではない暴力団のこともたくさん出てきます。


 ヤクザというか「任侠か極道」ですね。バブルで金儲けを覚えたヤクザは「任侠・極道」の名を捨ててしまいました。

 その漫画の中に、「任侠・極道」の手打ちの場面が出てきます。
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  ビルマの大地震で2,000人近くが亡くなって、多数の負傷者も出たみたいです。タイにも影響があり、家屋とかが倒壊しているとか。

 亡くなられ方には心から哀悼の意を表しますとともに、被災された方々にはお見舞い申し上げます。これはたまりませんね。

 日本でも山火事が・・・。自分に何ができるかを考えます。天は何を言いたいのだろう?
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  日本人のたくさんの人が中立国といえば「平和な国」を思っています。特にスイスなんかは「永世中立国」と名乗っています。スイスが笑。あの国は、大東亜戦争終了後、永世中立国なのに、我が国に莫大な金を要求しました。戦ってもないのに。

  中立国とは、どの国とも軍事同盟は結ばないけど、どの国から攻められても文句を言えない国です。だからスイスは各家に自動小銃がおいてあり、射撃訓練は国民の義務です。道路は幅広く滑走路になっていて、戦時に離着陸ができるようになっています。ただし、国境をやられたら、そのどうとからニョキニョキと柱が出て、敵国の戦車がはいれません。空にはフランス産の戦闘機が。

 こういう話を私は学生時代に女性初のスイス大使になった人の著作を読んだような気がしているのですが。。。。どんなに検索しても出てこない。私の記憶間違いかなあ。いや、絶対に読んだよなあ。歴史の闇に消されたのかなあ。

  まあ、いいや。永世中立国を守ろうとしたらそれぐらいの努力がいるのです。欧州は平和だからできるって????? あの欧州を何百年も暗黒の世界落としたキリスト教徒(特にカトリック教会主義)が?

 それって笑い話ですか?

  愚かな官僚があえて負けるような戦いをした大東亜戦争当時の日本も、完全なる武装中立でした。武装中立こそ、最も平和なのです。我が国は、太古の昔から、ずっと武装中立でした。江戸末期を除けば。松平定信が我國をめちゃくちゃにしました。せっかく田沼意次が正確な海外情報を得対応しようとしていたのに。

 大東亜戦争の時も繰り返しますが、世界最強の帝國陸海軍にはスターリンもルーズベルトも恐れていました。軍部の官僚化が・・・。官僚はいつの世も国を潰す存在になります。

 江戸時代末期に、外人の入国の手続きをしたのは武士でした。外国人はその武士に賄賂を渡そうとしましたが、武士は決して受け取りませんでした。武士は官僚ではないからです。
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  これまでの「どの本よりわかりやすいスモールM&A」のタイトルを上記のように変えました。この方が日本の中小零細企業にあっています。この記事を前回書いたのは、三月二十三日です。その時は、次のようなことを書きました。

 中小零細企業というのは、経営資源の脆弱性から、予想もしないほんの些細なことから組織が崩れて(ヘタをすると崩壊に至る)ことがままあります。ままあるという表現は不適切かもしれません。潜在的リスクとしていつもそれに身を晒されてしまいます。

  後継者がいないと言うことも、あらかじめわかってることなのに、それを顕在的リスク(イベントリスク)としてとらえず、潜在的リスク(グラュアルリスク)のまま放置する(または、被承継者が、自分はまだまだできると考える)ことも多くあるでしょう。

 会社を金のために売り渡す道具たとただ単に考えている欧米企業とは全く根本が違います。だって「合併」「買収」という簡単な言葉で片付けるんですもの。

  つまり「経営資源」という言葉の充実度が欧米と日本では全く違います。

 では、経営資源とは何か。欧米では「モノ(それも流通機能だけ)と金と『そのことだけに関係する』情報です」。では、日本では、「ヒト・モノ・カネ・情報」を「過去・現在・未来」に亘って「丸ごと」見ることがスモールM&A(このことばもちょっと違いますが、社会通念で名が通っているのでしかたなく使っています)ではないのでしょうか?

  なので「後継者がいないから」という理由だけで、スモールM&Aをするのではありませせん。

   経営資源の引継ぎを受けてもらうきぎょうにヒト・モノ・カネ・情報」を「過去・現在・未来」に亘って「丸ごと」を「引継い」もでもらうこと、自分の育てた娘を嫁に出すような気持ちで、経営資源の引き継ぐを相手企業に受諾してもらうことが大切です。

  これが「どの本よりわかりやすいスモールM&A」というタイトルを今日から「どの本よりわかりやすい経営資源の引継ぎ」に変えた理由です。

  発言が昭和っぽいですか笑笑。でも、こう言う考えや「目的」を持った生き方は変えられないや。

  ただし、引継いでもらいためには、自社のことを十分に経営資源の引継ぎを受けてもらう企業に分かってもらい、その上でただ受けれもらうためではなくその「ヒト・モノ・カネ・情報」を未来に向けて成長する経営革新が必要です。

  中小零細企業の「ヒト・モノ・カネ・情報」を「過去・現在・未来」に亘って「丸ごと」を「引継いで」もらうことには、いろいろな手法があります。

  その方法を次回からしていきます。そして、いろいろな可能性を、引継いでもらう方も引き継ぐ方も見つめながら「ヒト・モノ・カネ・情報」を「過去・現在・未来」に亘って「丸ごと」「引継いぎ」をしましょう。
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  俺はくさ、三十歳になる年にくさ、二十九歳で結婚ばしたと。えっ、誰ととか言うと? もちろん今のかみさんとたい。彼女は二十四歳やったばい。ちゃんと付き合ったとばい。結婚するまで指一本も触れてなかけんね。

  それまでもいろいろなところに遊びにいったりしとったばってん、それは1対1というより出光興産株式会社千葉支店の独身男女で出かけよったったい。昔の言葉でいうとくさ、グループ交際とか言うやつたい。今は、なんて言うと?

  ある日くさ、かみさんに手紙ば渡したとって、「結婚を前提にお付き合いしてください」って。そしたらちゃんと返事ばくれたと「私でよければ」と。

  女性と付き合うにはくさ、ちゃんと両親に報告せないかんやろ。だけん、まず、彼女の家に行って「お付き合いいさせてください」と言ったったい。彼女のご両親に了承ば得てからくさ、うちの家に連れて行ったとたい。もちろんその頃は、俺の母が病気やということは彼女に伝えとったとばい。

  うちの両親は反対することはなか。お袋がくさ「なんて綺麗な子なの」と俺にこっそりと言ったのを覚えとるったい。そうったい。「こげな綺麗な子と結婚ばしていいとかいな」と俺も思っとった。少しにロケさせやい。今では、この世で一番怖くてくさこの世でたったひとり喧嘩ばでける存在ばってん。

  ちゃんと両家に筋は通したろ?  結構、その過程は、硬派やろう? そうったい、俺は幼少の頃から硬派教育ば受けてきたとって。環境のせいにする訳やなかとばい。ばってん中学・高校・大学・社会人とずっと硬派ば張ってきたと。それががよかと思っとったと。

  彼女とはくさ子供がでける(「け」は博多弁では普通)まで四年かかったとたい。彼女が気にしてくさ「妊活」みたいなことば言うけん「そげなことば気にしやんな。でけんやったらでけんでよかやん。子供は天からの授かりものばい。でけんやったら、二人で旅行ばして暮らそう」と言っとったったい。そげんしたらくさ、四年後に息子ができたと。これがまた出来の良かろうが(親バカ)。トンビがタカを産んだったい。可愛かったばい!!! 自分がこの世に生まれてくさ、初めて「自分の命ば引き換えにしてもよか存在を知ったったい」。もし、もし息子になにかあって死神がきたらくさ、「お〜、俺の命ば持っていきやい。その代わりこの子を生かしちゃちやい」ということたい。

 息子が産まれるまではくさ、結構ラブラブやったとがくさ、息子がができたら、途端に強くなろうが。女は逞か。

 まだ郡山にいるときにくさ。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと24通です。1万件達成は来月10日あたりになるかな。ポイ活もやめたことだし。すごくスッキリしました。

  前回、三月二十日木曜日がホワイトハッカー記事の前回になります。もう、九日間も経つのですね。少し復習します。前半でこう書きました。しつこいかもしれませんが、仕事をする上で、特に、戦略を練ってそれを運用していくときには絶対に大切なことです。

戦略(目的から始まる)を「細部に宿らせる」

とその物事は必ず成功します。

(前回の復習)
 BCPの目的は「有事の即応・平時の緊張の人・組織創り」です。

   そして目標がRTO(目標復旧時間:Recovey Time Object)です。

  必ずこの確認をしてからIT-BCP の作成に当たってください(BCPも同じ)。防災訓練とは全く違います。

  前に、災害等のBCPと違ってIT-BCPは「リスク・アセスメント」から始めてくださいということを理由とともに申し上げました。これは、手段です。物事は、必ず、

目的→目標→手段

の順に考えなければなりません。目的がない目標、目的も目標もない手段は絶対に避けないと社員は、「誰のために何のために仕事をするか。何をいつまでにどれだけするか」がわからなくなってバラバラに動いてしまいます。目標から入ってもいけません。なぜこの目標なのかがわかりません。
    れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。私が前記事を保留のままでアップしていませんでした。あと25通です。

  宣言通りばい。「博多弁六十ジジイのポイ活日誌」ば終わったけん、次のシリーズったい。「博多弁亭主の独り言」ったい。前の前の記事でも言ったばってん、これも短命で終わるかもしれんばい。あんまりバラしたらかみさんに怒らるるばい(怒られるの間違いではありません:これも博多弁です)。

  繰り返し書きよるばってん、俺は昭和五十八年(1983年)に出光興産株式会社に入社したったい。広島直営ガソリンスタンド研修、油槽所タンクローリー研修、徳山製油所研修を経てくさ、福島県の郡山出張所に赴任したったい。そこで二年間おってくさ、昭和六十年(1985年)に千葉支店に転勤になったとばい。千葉支店にはそれから四年間いたときにくさ、今のかみさんと知り合って結婚したったい(ほんとうはうるさいけん、がみさんと呼びたかとばってん。読者のSW社長からその呼び方はやめろ!と言われとっちゃんね〜)。

  最初の年は、出張所と統括支店の千葉支店との違いに戸惑ったけん忙しかったと。出張所ではくさ、ガソリンも中間留分(灯油・軽油・重油)もガスも潤滑もじぇーんぶ(全部)一人でやらないけんめいが。それこそ物流の仕事(油槽所)の仕事もあるったい。ばってん、統括支店ではくさ、ガソリンとせいぜい民生用灯油はくさ販売課(俺は販売一課やったと)、産業用灯油は営業課、潤滑油は潤滑油課、プロパンガスはガス課って別れとうとたい。組織が多くなると官僚化するげなは本当やね。結構、縄張り意識があるったい。各課ごとに。その上、俺の課長がくさ、超理不尽な人でくさ、今やったら絶対パワハラになるばい。まあ、パワハラという言葉でくさ、治まらんぐらいすごか人ったい。まあ、いうたらくさ、パワハラに不合理不条理鬱陶しさのオンパレードったい。ある先輩に相談したらくさ「そういう時はくさ(先輩は博多弁ではないけどくさ、あえてここは博多弁にするったい)、人間は誰でん、一生これが続く感じに思うばってん、そげなの人生の一つの点ったい。がまんせするより理不尽が何回あったかでも数えときやい」とアドバイスをくれたけん、なるほどと思ったたい。出光にはいろんな先輩がいっぱいおってくさ、こういう「おもしろいおっさん」たちが、いろんなことば助けてくれるったい。

  「とんび」という素晴らしいドラマがあります。内野聖陽(ヤス)さんと佐藤健(あきら)さん、そして、麻生祐未(たえ子)さんという私が大好きな俳優さんが出ています。

 ヤスは、息子のアキラに、お母さんの美佐子(常盤貴子)がアキラを庇って亡くなったことを言いません。それどころか荷物が落ちてきた時に自分(ヤス)を庇って死んだんだ、と言います。アキラはなんとなく気付きます。

 ヤスが毎日のようにいく、たえ子の店に、たえ子の娘がヤスに連れられてやってきます。たえ子が昔、離婚して別れた娘、泰子(徳永りえ)です。その優しさに触れた泰子は、それまで自分を捨てたと思った母に厳しい言葉をもらって、その優しさに触れ、母を愛します。お互いに名乗らないままに。

 家族は特にそうですが、関係ができればできるほど、人間には「はっきりと言えない良い嘘(これを嘘というかどうかはわかりませんが)」がたくさん出てきます。なので、敢えて嘘を言う時があります。相手がそれが嘘だと気づいていても。相手には「何もかも言わなくても気持ちは伝わって」います。本当の優しさがあれば。

 能の第一人者 世阿弥が
非すれば花  
  という言葉を遺しています。言わぬが花です。

はっきりと口にだして言わない方がかえって趣や価値があるということば。余計なことを言わなければ、差し障りもなくてよいこと

です。」

  世阿弥の言葉を借りれば

非すれば花なり非せずは花なるべからず

 です。

そんな強い男になります。いい言葉ですね。「非すれば花」! 日本人に生まれてよかった。

時々に 人の優しさに ふれるとき 真の優しさ 味はうときに
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと27通です。

  今日は、二十九日ですね。肉(二九)の日〜。といっても焼肉を食べにいくわけではないですけど。仕事の時間がもったいない。我が家が住んでいるマンションのエレベータのちいさなデジタルサイネージ(デジタル表示)が、行き先の階数とかの表示のほかに「今日は何の日」と言う表示が出てきます。私は三階に住んでいますが、それでも、エレベータの中の退屈凌ぎになります。最上階の八階に住んでいる方などは、とても退屈だと思います。エレベータの中って退屈ですよね。みんな黙って乗っているし。私は同乗される方達に結構話しかけます(息子には「やめろ!」と言われますが笑)。この前お母さんとお子さんが乗ってきました。お子さんが何かを手に持っていたので「どこにいくの?」と聞いたら「習い事」というから「楽しい?」と聞いたらその子供が「全然楽しくない」と答えました。もう、三人で大爆笑(でしたが、帰ってからこの子は絶対お母さんに叱られています笑)。なので話しかけじじいで有名だそうです。だって、昔なら近所の人は必ずしてっていましたよね。これが地域1番の安全保障でした。

 閑話休題。高山正之先生という素晴らしい方がいます。産經新聞出身で、その見識を認められ大学教授までやられた方です。週刊新潮にも毎週投稿されています。この方は、ミャンマーの真実を繰り返し書いています。
   れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと28通です。もう書き始めて二十年目なんですね。

   申し訳なかばってん、「博多弁六十じじいのポイ活日誌」 のブログ記事は今日で終わるばい。短かったね〜笑笑。

   次は、「博多弁亭主の独り言」を書くばい。あんまり書くとくさ、うちの夫婦関係がバレるけん、ガミさんに怒られようが。だけんこれも短期で終わるかもしれんばってん、よんじゃってん。

  博多弁はだいぶん慣れたろう? だけん博多弁だけでいくばい。わからん言葉があったらラインかなんかで質問ばしちゃりい。

   そしたらくさ、「博多弁六十じじいのポイ活日誌」の最終回を書こうかね。
   れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと29通です。  (すみません。今日があと29通でしたね)。

  中島みゆきさんと中島美嘉さんの歌が大好きです。四月号の士魂商才にも書きましたが、縦の糸はあなたの歌は、中島みゆきさんの歌で私の大好きな歌。そして、銀の龍の歌もたまりません。これは(私の勝手な推測ですが)きっと支那の古典「易経」の「潜龍」を歌っているのではないかなあ。

 よく支那の古典を四書五経という一言で片付けていますが、五経(書経・詩経・易経・礼記・春秋)は素晴らしんです。漢民族がではありません。漢民族は歴史上常に周りの民族から侵略されていました。周りの民族で支那を侵略できなかったのは、朝鮮だけです。支那の支配者が変わっても朝鮮はいつも属国でした。

 ただ、辺境の国が支那大陸を支配してもその国は他の辺境の国に滅ぼされています。五経も漢民族が創ったのではなく、辺境(こう支那が呼んでいるのですみません)の人々が作った最高の知恵です。読むととても面白い。

  長い歴史の中で、支那大陸を支配した漢民族は、漢と明と今の支那共産党しかありません。漢に関わった支那大陸を支配した周辺民族(こう呼んだ方がいいですね)は、みんな酷い目にあっています。清なんて滅ぼされてしまいました、今、清の母国 満州語を使える人は10人いないそうです。日本は支配しませんでしたがそれでも支那に関わるといつも酷い目にあっています。長い歴史のほとんどを奴隷で過ごした漢民族の恨み根性なのでしょうね。日本の教科書もそれを正しく書く必要があります。

  閑話休題。五経の話でしたね。何千年のあと、孔子とかによって焼き直されたのが四書です。昔はこんな素晴らしい話があったんだなあと思いながら四書を書いたのでしょう。でも、正しいことを言えば言うほど、支那では、殺されてしまうのです。だから、書いてそれで終わり。実行しようとしません。支那の理想論を実行しようとしたのは日本人だけです。それも支那の悪いところを全部排除して。
   れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと29通です。  

  「LINEWALKにある解説の検証です」の第二弾です。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと31通です。  

 「日本大国かと世界の平和」を「ドラえもん型にほんと世界平和」に変えます。もともと、我國は、ずっと「ドラえもん型」の国でした。我國の歴史を見ながら検証していきましょう。「ウルトラマン型日本」と言ってもいいのかな笑。日本が作った漫画やSFにもその姿が現れています。

  欧米が、血眼になって、世界中を植民地にしているときに、我國は、古今東西どの国もやっていないことをやってのけました。秀吉の治世から江戸時代の田沼意次の治政までです。松平定信が悪政を敷き我國を弱め、家斉の時代の平和な時代に世界からどんどん遅れて明治維新になりました。

 では、秀吉から田沼意次までの時代に古今東西どの国もやっていないこととは。それは、世界からの

武装中立
です。
    これを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと32通です。  

   久々の士魂商才です。士魂商才です。士魂商才の業態を悩みんな病んで変えました。来月からは毎月くります。みなさんには、明日送ります。ブログでは、表紙のページだけ書きます。
    これを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと33通です。  

  ラインウォークは確かに他のアプリと比べてくさ、やり方が簡易ばい。特に俺みたいにくさ、毎日一万歩歩くこととくさ、ナンプレば得意やったらよかろうが。それでもめんどくさかばい。昨日、ラインウォークの説明書ばもう一回読んだったい。

  今日は、その説明書に書いてあることのくさ、嘘ば「ほうとっくん(博多では女の子からこう呼ばれていた)」見破っちゃるばい。長くなるけん何回かに分けるけんね。よーと聞いときやいよ。

 それとこれはくさ、説明書も書かないかんけん、説明書ば書いたときに、その嘘ば俺が見破っちゃるけん、そこだけ博多弁ったい、それでゆるしちゃりいやい。俺の感想は説明書の文章の後の(    )書きのところばい。間違えんごとしんしゃいよ。

(拙首です
解説書を 片手にじじいが  ポイ活を 訳わからずに 六十過ぎても 
みんないう 何もしなくて いいですと 何もしないの 意味がわからん
  これを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと34通です。  

  今日は、私から叔母(洋子)へ出した手紙です。何歳ぐらいだろう? 恐らく小学校一年生の頃ですね。「夢の超特急 ひかり号(今の新幹線)」が書いてありますから昭和三十九年です。

  母は、高校受験の時、家にお金がなかったので受験当日に祖父と祖母から「合格しても高校に行かせるお金がないから今日は受けるなと言われました」。母は、中学校で一番の成績でした。かなちくて悲しくて仕方がなかったみたいです。

 なので、子供たちにはなんとか貧しくても勉強をさせてやりたいと必死でした。ただ、「勉強をしなさい」と言われた覚えがないんです。手紙の書き方にしても、「健、洋子姉ちゃんにお手紙書こうか」と笑顔で言われて書いたら、「すごい、よくできたねえ」と誉めら得れました、この頃私が書いた手紙には修正もしませんでした。字はもっと早くから読めていました。母が、本をたくさん読んでくれていたので。小学校三年生ぐらいになったら「推敲」を教えてくれました。

 とにかく、鉛筆の削り方、手紙の書き方、辞書の引き方など、基本的なことばかり。あとは、(忙しかったんでしょうねえ。父の病気とかも抱えていましたから)自主性に任されました。

 姉(一美)と私は母の笑顔が見たくて、母に誉めてもらいたくて勉強ではなく「学習(学んだことを繰り返し行う)をしていたように思います。姉の成績は私なんかと比べて抜群によくて、中学校に入った時も常に10番以内でした。私は遊んでばかりいたので😭。

 では、私が六歳の時の、この貴重な手紙を取っておいてくれた、洋子姉ちゃん(叔母)に宛てた手紙をご覧ください。かなり恥ずかしいですね。

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