お年玉年賀はがき

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   ニュース見ていたら、お年玉年賀はがきの当選番号の発表をしていました。そういえば、もう何年も気にしていなかったことのように思えます。昔は、とても楽 しみにしていたことなのに。1等が何でということも知っていたように思い出されます。
 私だけなのでしょうか? ちょっとだけ裕福になったので、価値を感じなくなっているのでしょうか?
   子供のころ、我が家はとても貧しく、その上、親父が入院したり、転職したりして、どん底の生活を 送っていました。それでも、みじめさを子供に味あわせなかった親には感謝しています。おやつにしても、手作りで、貧しかったけれども豊かさは今よりもあり ました。
 でも、やはり手に入らないものはほしくて、お年玉付年賀はがきの当選発表日はいつもわくわくしていた記憶があります。

 今、日本は有史以来はじめて裕福な時代を迎えました。かつての日本はまずしいがゆ えに精神を鍛え、お互いがお互いのために、鍛えた力を使いあうという、世界でも類を見ない精神文化を生み出してきました。

 今は、今日の私のように、ありがたみを感じない世界が広がってきています。人から何かを与えられても、そう喜びを感じないので、「人に何かを与え ても喜ばないだろう」と勝手に考え、人とかかわりあうことに努力をしないようになってきています。

 結果として、生きることに鈍感になり、何かを感じることがなくなります。

 昨年亡くなった、尊敬する経営者の一人である宇佐美 史郎氏は、一緒にいるとことあるごとに「宝徳、あれはなんでああなっているんだろう」と質問 してきました。私が答えられないでいると「おまえな、なんで物事を考えようとしないんだ」と怒られました。

 宇佐美氏は、あるとき、函館で生き死にをさまようような大怪我をされて、集中治療室に入ったことがありました。幸いにも全快され、退院後、同社の みなさんが、宇佐美氏をいいところで休養させようとして、名古屋に帰る前に、函館の一流温泉ホテルで最高の料理を用意してもてなしました。しかし、あまり 喜びませんでした。

 名古屋に帰ってこられて、本社で250円前後のいつも食べていらっしゃる弁当をお昼に一緒にいただいたとき、「あぁ、これが一番うまいなぁ」と おっしゃいました。宇佐美氏をケチだとか、倹約家だとか言う人はたくさんいますが、私はそうは思いません。物の本当の価値を知っていらっしゃった方であ り、物のありがたみをいつも同じように感じることのできる方でした。

 経営者になった今、その価値をひしひしと感じますが、この単純なことが至極難しいことでなかなかできません。これができる人は人生の達人でしょ う。

 いいときも、悪いときもいつも同じように行動できる。感じることができる。私の人生目標のひとつです。お年玉付年賀状の当選発表を聞いて、反省し 検証してみた今日のブログでした。

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このページは、宝徳 健が2006年1月15日 21:12に書いたブログ記事です。

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