雪の天橋立

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   5日は午前中 滋賀県の琵琶湖のほとりにある五個荘という近江商人発祥の地に行ってきました。近江商人は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よ しをモットーとしてコツコツと商売をしていた人たちです。「てんびんの詩」が有名です。商人たちは、儲けたお金を街づくりに使ったので、街並みも素敵で す。
滋賀県も雪がすごく、夕方までに宮津に入る予定なので、少し早めに出て向かいました。名神高速を吹田までおりて中国道から舞鶴自動車道にのり、宮津に行き ました。16時過ぎに着いたのですが、お客様の新年会のため、早めに会場であるホテルに入りました。天橋立ホテルです。温泉もよく、風光明媚です。天橋立 は、夏もいいけれど、雪景色も最高
   天橋立は自然の創造した珍しい大規模な砂嘴(さし)です。宮津湾に海流が砂を運び、そして、堆積していき、宮津湾を二つに分けてしまいました。内側 の海を「阿蘇の海」、外海を「与謝の海」といいます。日本三景(松島、厳島、天橋立)のひとつです。

 丹後風土記によると「昔、いざなぎの命が天に通うときに使うはしごが、昼寝をしているうちに倒れて海の橋になった」と書かれています。
 丹後半島はこの他にもいろいろな御伽噺や神話があります。奈具社(なぐのやしろ)の天女伝説や、浦島伝説もこの地です。

 この地には文殊菩薩が祀られています。
 いざなぎの命といざなみの命が日本の国つくりをしている頃、宮津湾には大きな龍が数多く住んでいて、いつも悪さばかりしていました。そこで、おふたり は、中国の五台山におられる文殊菩薩(智慧の菩薩様)に龍をいさめてもらうことにしました。
 日本にこられた文殊菩薩は、千年の間、この島で説法を行いました。さすがの龍たちも文殊菩薩のもとに集まり、教えを聞き、人々を護る神々になるように文 殊菩薩に誓いました。だから文殊菩薩が祀られています。

 話しは変わりますが、昔この地に藤原 保昌という人が住んでいて、その人の妻が歌人として有名な「和泉 式部」です。和泉式部は、バツイチです。 この人と結婚する前に生んだ子供が「小式部」です。彼女は情熱的な恋愛歌人として有名で、百人一首にも

「大江山 いくのの道の遠ければ まだ文も見ず 天橋立」(夫の藤原保昌と一緒に遠い丹後に言ってしまった母をしのんで、大江山よりももっと遠い丹 後の国だから、手紙さえもらっていない。母がなつかしい)という和歌があります。

 この地にはまだまだたくさんお話しがありますが、それはまたの機会に。

 日本は、素晴らしい国です。世界が激変していく中、私たち日本国民はもう一度、このような歴史や神話も含めて、私たちの祖先がどのようにこの国を 作ってきたかを知っていく必要があります。

 戦後、アメリカによって「戦争犯罪プログラム(ウォーギルトインフォメーションプログラム)」を押しけられ、日本人は、日本のことはすべて悪だと 教えられてしまいました。結果として、大学教授や政治家さえもが、日本の国を卑下する国になってしまいました。まさにプログラムの成功といえます(皮 肉)。もうそろそろ、精神的に独立国になってもいいのではないでしょうか。

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このページは、宝徳 健が2006年1月 6日 10:32に書いたブログ記事です。

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