この物語はフィクションということにしておきます。
5名でマンホールの底に降り、非常に狭い平行の管を匍匐前進(ほふくぜんしん、腹ばいになり、手の力だけで前に進むこと)で、数十メートル先の、 自衛隊基地まで進みました。今考えると危険きわまりありません。崩れていたら、私たちは今日まで発見されずに、遺骨のないお葬式をだされていたでしょう。 あんなことろに小学生がいるなんで絶対に考えられませんから。
それでも、なんとか向こう側の基地に到着しました。柿や栗は目の前です。誰か覚えていませんが、隊長になり、「伏せ」「突撃~」っと柿と栗を目指しました。その瞬間「こら~~!!!」という巡視兵の声。
「お前ら、どっから入った???!!!」相手としては、なぜ、ここに小学生がいるのかまったくわかりません。わかるはずがありません。私たちの 柿・栗作戦は失敗に終わりました。なんていってる場合じゃありません。 本部まで連行されました。巡視兵を先頭に、5名が引き連れられて。そのとき、私の 年の近い非常に私をかわいがってくれた叔母(この人は目が悪い)が、自衛隊に勤めており、私たちが連行されるのをたまたま見て「あ~、小学生も基地を見学 できるんだ~、今度、たけしちゃん(私のこと)に教えてあげよう」と思ったそうです。
基地本部に連行されました。恐いおっさんが、確か4名くらいで取り調べ「どこから入った?」「お父さんの職業は?」「住所は」「学校は?」「学年は?」と矢継ぎ早に質問が飛びます。
5名の中に、自衛隊の幹部(三佐:昔の少佐)の息子が2人いました。「お父さんの職業は?」と聞かれても、その2人はなかなか答えません。取調官 の方から「もしかしたら、きみたちは、○○三佐と、○○三佐の息子さんか?」と聞きました。「はい・・・」。取調官は、「わざわざ忍び込まなくてもお父さ んに言えば見学できるじゃないか?」と泣きそうな顔になりました。
その後も厳しい取調べが続きました。「親に言うぞ」「学校に言うぞ」と脅されました。あまり脅されるので、思わず「小学生に侵入される基地の方が 問題があるんじゃないですか?」と言ってしまいました。言ってから、「しまった!!!」と死ぬほど後悔しましたが、もう後の祭り。 このまま自分の人生は 終わると思いました。
ものすごくしかられて、あ~、明日から、もう学校に行けないな、きっと勘当させられるだろう。もしかしたら、銃殺刑に処せられるかもしれない(こ れは真剣に思いました)、と考えて、とぼとぼと夕方帰宅したのを覚えています。この後の記憶は定かではありませんが、親にも学校にも通達がなかったように 思われます(当然ですよね。小学生が侵入できる基地なんて、軍事基地としてはありえません)。
当時は、何事もなくビビリながらホッとしました。でも、親には・・・と思い、親に言ったところ、思いっきり笑われました。私の親は、特に母親は、 私の姉が長男を生んだときのアドバイスが「男の子はその日に生きて帰ってくればそれでいいのよ」だったくらいです(本当はとても心配だったと思います。親 になって言わない親がどれほど苦しいかわかります)。
なぜ、今日これを思い出したかはわかりませんが、私は自分の子供時代を振り返ると、「よく今まで生きてたな~」と思うことばかりです。勉強はとりたててした覚えはなく、いつも野山・海を駆け巡っていました。
心配を我慢して、枠に縛らず、のびのびと育ててくれた親に感謝です。今日は彼岸の中日! 亡くなった母のことを考えたときに思い出したことです。
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