古事記をみてもわかりますように、すばらしい文化です。それを、日本人のほとんどが知らないという嘆かわしい事実。 自分も含めて、私たちは、間違った 教育を受けてきたことの認識からスタートすることが大切です。
あるとき、トヨタマビメ(以下、ト)がたずねてきました。 ト「御子の子を宿しま した。天つ神の子を海の中で生むわけにはいきませんので、こうして訪ねてきました」。 山彦(以下、ヤ) ヤ「それはよかった、さっそく産屋(うぶや)を つくらせよう」。
ところが、まだ産屋の屋根ができないうちにトヨタマビメが産気づきました。 ト「では、これから産屋に入ります。でも、出産のときは、女はみんな 故国の姿に戻ってしまいます。ですから、出産のときは、絶対に中をご覧にならないでください。 ヤ「わかった」
とは、いうものの山彦は気になって仕方がありません。そっと、中を覗きました。すると、大きなワニ(西日本ではサメのことをワニと言います)が、 身悶えながら出産をしているではありませんか。これはたまらぬと山彦は逃げ出してしまいました。
トヨタマビメは覗かれたことに気づき、産まれた赤子を残して、「なんで、ご覧になったのですか? もう私はここにいることはできません」と言い残 して海の世界に帰っていきました。
トヨタマビメは、海の世界に帰ったものの、残してきた子供が気がかりでなりません。妹のタマヨリビメをわが子の養育係として送り出しました。
そのとき、トヨタマビメが送った和歌が、
赤玉は 緒さえ光れど 白玉の 君が装いし 貴くありけり(あのかわいいこどもをどうか御子様 大切に育ててください)
山彦が返した和歌が
沖つ鳥 鴨著く(かもどく)島に 我が率寝し(いねし) 妹は忘れ児 世のことごとに(ずっとこの子を大切にする)
山彦はホオリノミコトといい高千穂の宮に580年間も住みました。山彦の子供は、その養育者であり、叔母でもあった、タマヨリビメと結婚しまし た。そして、生まれた子供が、初代天皇である 神武天皇です。
次回から、神武天皇がこの国を支配していく過程が出てきます。
とても面白い、昔の人の創造力のすばらしさがわかる古事記です。
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