どの本よりもわかりやすい古事記

| コメント(0) | トラックバック(0)
   さて、この白肩(がなまって、今は枚方。この後は、枚方と呼びます)に豪族のトミノナガスネビコが住んでいました(以下ナガスネビコ)。彼からすると、神 武一行は侵略者です。必死に応戦します。その応戦時に神武の兄イツセノミコトが的に弓矢にあたって死んでしまいます。
   イツセノミコトは、「われわれは、日の神の子孫なのに、太陽に向かって戦ったから負けたんだ。弟よ、体勢を立て直して、太陽を瀬に戦うんだ」と言っ て「こんな賎しいものの矢で死ぬのか」と嘆きながら亡くなりました。

 神武天皇は体制を立て直すために和歌山県の熊野に逃れます。一族は戦いに敗れたこともあり、ぐったりとしています。神武天皇(以下、ジ)は、「と てもこのまでは戦えない」と考えます。

 すると、熊野の高倉下(たかくらじ、以下、タカ)という者が現れて、一振りの太刀を手に、神武天皇の前に跪きました。
タカ「天つ神の御子、いざ目覚めたまえ」
ジ「ああ、なんと長く眠っていたことか」と言って、その太刀を受け取りました。

 その太刀は今まで見たこともないようなすばらしい太刀で、邪気まで祓ってしまいます。その太刀で、一族のみんなは邪気が祓われ、元気が出ますし た。

ジ「その霊剣をどこで手に入れたのですか?」
タカ「実は、皆さんが苦戦しているのを知った天照大神様は、タケミカヅチノオオキミ(国譲りで、大国主命を征服した神)に、もう一度助力に行くように申し 付けられました。しかし、タケミカヅチノオオキミは、この剣さえあれば大丈夫と、私にこの剣をあなた様に渡すよう託されたのです。」

 そして、そのとき、天から神武天皇に対して「邪気があるところを進んではならん。ヤタガラスに案内をさせるので、ついていくが良い」との声があり ます。

 神武天皇はヤタガラスを道案内に、そして、霊剣を携えて豪族の征服に向かいました。

 ですから、神武天皇の絵には、鳥の絵と剣の絵が必ず載っています。

 さあ、次からはついに神武による国家の統一です。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/1206

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2006年5月28日 12:04に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「海軍記念日」です。

次のブログ記事は「一万回同じことを言え」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。