夜郎自大

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  切り抜きに日付と新聞名を書いていないというドジのために、出所がわかりませんが、先週のある新聞に「夜郎自大」という言葉が乗っていました。ちょうど、 息子と史記から出た言葉を勉強していた後だったので、へぇ~、っと思いました。面白い記事なので、書きとめておきます。中国古典学者の興膳 宏氏が書かれ たものです。
 夜郎自大の意味は「身の程知らず」です。
 記事の抜粋です。
  ロングセラーを続けている半藤一利氏の「昭和史」(平凡社)では、国の実力もわきまえずに日本を敗戦に導いた、戦時下の指導者の夜郎自大的な判断が厳しく指弾されている。
 「夜郎自大」とは、「史記」西南夷列伝の故事にもとづく成語である。「夜郎」とは、現在の貴州省西北部にあった少数民族の小国。前漢武帝の時代に、漢か ら派遣された使者が王と会見したとき、王が「漢とわが国とどっちが大きいのかな」とたずねた。たかが、辺境の小国の分際で、身の程知らずもいいところだと いうわけで、この成語が生まれた。
 実は、漢の使者は夜郎に赴く前に、その西方にある?(テン)という小国を訪れて、?王から同じ質問を受けている。だから、理屈からすれば、「?自大」と いう成語が成り立ってもいいところだ。それが「夜郎自大」になったのは、四字句としてのリズムのよさ、そしてなにより「夜郎」という後の字面の妙味だろ う。
 「夜郎」は、「夜」の字が暗示するように、いかにも暗い辺鄙(へんぴ)な土地のイメージがある。それから九百年近くのち、唐の詩人李白は、反乱軍に参加した罪を問われて、夜郎に流罪処分になった。彼がその道中で妻に寄せた詩がある。
 夜郎 天外 離居を怨み
 明月 楼中 音信稀なり

 李白の時代にも、夜郎は依然として遠い遠い僻地だった。
 「夜郎自大」と似た趣旨の成語に、「井蛙(せいあ)の見」がある。その出典は、「荘子」の秋水編、「井蛙は以って大海を語る可からず」である。井戸の中の蛙は自分の狭い住みかしか知らないから、大海の話をしても理解できない。中国語では、「井底之蛙」という。

 漢の「夜郎自大」は、情報不足の結果だが、現代は反対に世界の隅々まで情報が氾濫している。だた、その中で正確な情報を把握していて将来を誤らな いためには、しっかりとした「知」の力が不可欠だ。指導者の無知に情報過多が相乗されるようでは、再び「夜郎自大」の失敗を免れまい。

(私の所感)
①まず、自分のこと
 反省。いつも、これを考えておく必要あり。つい調子に乗る。
②今の中国
 項羽と劉邦、三国志、史記、十八史略等を読んでいても、孔子・老子・孟子・荘子に触れていても、あの、殺伐とした時代に、よくこれだけの文化が残す力が あったものだと驚嘆します。残酷ではあるが、あの壮大なロマンは私たち日本人にはかけている点でしょう。惜しむらくは、今の中国にこれらの文化発想の力が ないことです。あれだけ「素晴らしかった」国なのに。

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このページは、宝徳 健が2006年5月27日 18:26に書いたブログ記事です。

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