日本では、亡くなった本田美奈子さんも歌っていた、きれいな歌の題名です。もう、一般の人たちには常識なのかもしれませんが、私ははじめて知った事実なの
で、書いておきます。この歌が生まれた背景がある本に載っていました。ただ、きれいな歌だと思ってきいていたのですが、やはりあの力強さにはこのような背
景があったのですね。
以下、本の抜粋。
「今から二百五十年前ぐらいのことです。かつて奴隷船の船長だったジョン・ニュートンが引退し、ロンドンの街角を歩いていたときです。とある協会から妙な る賛美歌が聞こえてきました。ジョンは思わず立ち止まり、その場に釘付けになってしまいました。そしてかつてアフリカで黒人狩りをし、ヨーロッパに輸送 し、奴隷として売買していたことが、どんなに悪いことだったのか、悟ったのです。彼らも同じ人間なのに、理不尽にも家族から無理やり引き離され、自由を奪 われ、社会の最下層の労働者としてこき使われたのですから。
ジョンは悔い改め、余生を牧師として奉仕し、罪の償いをしようと思いました。そして協会の傍ら、自分の覚醒を一遍の詩に書きました。それに曲が付けられ歌われだすと、瞬く間にイギリス全土に広がっていきました。それが、「アメージンググレース」です。
1960年代後半、アメリカがベトナム戦争の敗戦によって、国家に対して信頼を失い、深刻な人間不信に陥ったときがありました。そのとき、アメリカ人の 心の空洞を埋めるように、この歌が燎原の火のように全国に広がっていき、人間不信を克服させたのでした。この歌はそういう力を秘めています。」
「今から二百五十年前ぐらいのことです。かつて奴隷船の船長だったジョン・ニュートンが引退し、ロンドンの街角を歩いていたときです。とある協会から妙な る賛美歌が聞こえてきました。ジョンは思わず立ち止まり、その場に釘付けになってしまいました。そしてかつてアフリカで黒人狩りをし、ヨーロッパに輸送 し、奴隷として売買していたことが、どんなに悪いことだったのか、悟ったのです。彼らも同じ人間なのに、理不尽にも家族から無理やり引き離され、自由を奪 われ、社会の最下層の労働者としてこき使われたのですから。
ジョンは悔い改め、余生を牧師として奉仕し、罪の償いをしようと思いました。そして協会の傍ら、自分の覚醒を一遍の詩に書きました。それに曲が付けられ歌われだすと、瞬く間にイギリス全土に広がっていきました。それが、「アメージンググレース」です。
1960年代後半、アメリカがベトナム戦争の敗戦によって、国家に対して信頼を失い、深刻な人間不信に陥ったときがありました。そのとき、アメリカ人の 心の空洞を埋めるように、この歌が燎原の火のように全国に広がっていき、人間不信を克服させたのでした。この歌はそういう力を秘めています。」
やさしい愛の手のひらで
今日もわたしは歌おう
何も知らずに生きてきた
わたしはもう迷わない
ひとり輝く幸せを
与えたもうたあなた
おおきなみむねに委ねましょう
続く世界の平和を
(日本語詞 岩谷 時子)
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