新年度を迎えるたびに幹部は気持ちも新たに部下指導に挑戦します。人材育成に関する本を数冊読破し、研修に参加。しかし、部下は思うように育たず、悩みは続く・・・。この悩みをどう乗り越えればいいのでしょうか。
問題は、勉学の目的、狙い、方法が間違っているところにあります。いくらよい本を読んでも、表面的な理解に終始し、深さを探求していかなければ、いつまでたってもモノにはならないのです。
例えば・・・
山本五十六の残した部下指導の極意は、おそらく幹部なら誰もが知っていることでしょう。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
しかし大半の幹部は、そんなことは知っている、分かっている、昔聞いたことがある、で終わってしまい、他にいい方法はないかとまた別の本を物色し始める。これでは、どんな多くの本を読み、自己啓発に励んでも、学んだことが活かされることはありません。これまで行ってきた勉学は、まさに「死んだ学問」であることに気づかなければなりません。
では、死んだ学問から脱皮して、生きた学問、すなわち「活学」にいたるにはどうすればいいのでしょうか。それにはまず、「勉学の狙い」「深さの違い」を見極める必要が大切です。
①学ぶとは、記憶すること→知識
単なる物知りの世界であり、これだけでは、人生や仕事の役には立たない。単に知識を得るために読書をして、物知りになたことを満足している。これを死んだ学問という。
②学ぶとは、変わること→見識
勉学とは、学べば学ぶほど自分の無知さかげんに気がつくこと。学んで、自分の至らなさを反省することである。つまり学問の目的は、自分の未熟さに気づき、反省心を高めることにある。見識とは、謙虚さにもとづく自分流理念なのである。
③学ぶとは、変えること→胆職
見識に至れば発奮し、さらなる道を目指すことになる。勉学が深まるにつれて「知は行の始まりなり」「行は知の完成なり」「知るものは言わず、言うものは知らず」といった言葉の真意が理解できてくる。そして、自分の考えに反する人も大きな器で魅了させることができるようになる。見識プラス行動力を胆職という。
ここまでは自己を中心とした修行法です。次のステップは、他人を中心にした勉学の修行法です。
④学ぶことは、師と慕われること→喜職
他人に役立つための学問とは、
・他人に喜ばれる
・他人を魅力的に変えていく
・あなたは私の人生の師と慕われる
この次元の高い世界を喜職という。このように勉学とは実に奥深いものなのです。
【所感】
経営やコンサルをしていても、いつも胆職や喜職ができるとは限らず、見識どまりになっているときは、決してうまくいきません。いつも、頭においておく言葉です。奥の深さを求めていきたい。
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