人間尊重の事業経営p8~p10

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人間尊重の事業経営(昭和37年出光興産㈱発刊)

第一章 人間尊重の事業経営―古くて新しい経営―
(p8~10)
 出光五十年の歴史は、一言でいえば、日本人の事業経営をやってきたということにつきます。
 明治四十四年、九州は門司の一隅に出光紹介として発足して今日まで、明治、大正、昭和とめまぐるしい近代日本史の変遷の中で、それは事業経営としても波 乱に満ちた五十年でありました。しかしその根底に力強く流れて変わらなかったものは、この日本人としての自覚と、伝統に対する深い認識であります。

 いいかえれば、出光の事業経営を支えてきたものは、日本民族が二千数百年の歴史の中で育んだ人間尊重の伝統の道でありました。
  この人間尊重の事業経営を具体的にいえば、「金、物、機構、組織、権力、主義等に対し人間の優位を確保せよ。人間をそれらの奴隷にするな」というこ との実践であり、人間中心主義の経営なのです。これを出光五十年の歴史に即して概観すれば、次のようにいうことができます。

 明治末期、出光社長が学生時代"黄金の奴隷たるなかれ"と叫んだ言葉が、そのまま創業以来出光の事業経営の中で実行に移され、人間養成が第一義と され、ついにはそれが"資本は人なり"といいうるようになって結実しました。

 次いで戦時統制時代においては、軍部の組織・機構万能の行き方に反対して、"われわれは一致団結して人間の真に働く姿を実践し、国家・社会に示唆 を与える"という新年のもとに、法規、機構、組織の奴隷となることからのがれ、人間の団結力の偉大さを実証してきました。

 さらに今度の敗戦にあたっては、占領軍の占領政策下においても、"日本の石油市場を外国石油会社の独占から守れ"と叫んで、消費者本意の石油事業 のあり方を世に示して、当時の万能の占領軍の権力にも屈しなかったのです。

 独立後においては、戦後の民主主義が人間の質を忘れ、数のみに頼ることに反対して、ほんとうの人間の判断力を尊重してきました。

 さらにまた、創業以来、主義の奴隷たることにも反対して、事業経営に、資本主義、社会主義、共産主義の長を採り入れ、短を捨て、あらゆる主義を咀 嚼して超越してきました。

 このように資本主義万能の時代、戦時統制時代、占領政策時代、独立後と、あらゆる極端な時代を通じて、人間が中心であり、人間が奴隷であってはな らぬと叫んで五十年間を生き抜いてきたわけです。

 これを要約すれば、人間のために社会であり、人間がつくった社会であるから、人間が中心であらねばならぬという、きわめて簡単明瞭なことを五十年 間実行してきたということです。

 私達は、このような経営のあり方が、実は日本が二千数百年の歴史の中でつちかった伝統思想から当然導き出される姿であり、日本人らしい歩き方であ ると思っているのです。

 また同時に私達は、このような古い伝統に根ざしながら、その時代その時代の風潮にとらわれず、事業経営のあり方においては、つねにパイロット的役 割を果たしてきたと考えています。現在においても、一般事業経営が突き当たり、苦悶している「厚い壁」を知らず、その苦悩の象徴とも思われる労働争議すら 経験せず、力強く事業活動を発展させている出光の姿こそ、現代の「最も新しい経営」のあり方ではないでしょうか。

 このように考えてくれば、この人間尊重の事業経営を「古くて新しい経営」ということができましょう。

 それでは、この「古くて新しい経営」とは、出光の事業経営において、現実にどのように展開され、具体化されているのでしょうか。以下、その実態を 述べてみましょう(続く)

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このページは、宝徳 健が2006年10月17日 00:42に書いたブログ記事です。

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