出光興産の理念

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   私の以前の勤務先 出光興産株式会社が10月25日に上場します。私は出光という会社が大好きでしたし、今もその気持ちは変わりません。出光興産というよ りも、出光の理念にほれ込んでいまして、この気持ちは、今の出光にいらっしゃるどの社員よりも強いと自負しています。
 出光興産が上場という新しい時代を迎え、私がほれている同社を自分なりに検証してみたいと考えています。また、私の事業コンセプトは、いつの日かあのよ うなすばらしい理念が実現できる事業を行いたいというものです。最近少し、その思いをサボりがちな自分自身を浄化するためにも、もう一度、それを振り返っ て、自分自身に摺り込ませたいと考えています。つまり、もう一度修行です。
 現在の出光の皆様、他意はございませんので、よろしくお願い申し上げます。史上最高の経営者、出光 佐三翁の経営理念をとくと堪能してください。
   まず、最初は、出光興産株式会社が昭和37年(今から44年前)に発刊した「人間尊重の事業経 営」を写経のように少しずつ書き写したいと考えています。では、はじめます。

序―現代の危機と経営(p3~7) 2006.10.09写

 "世界は行き詰っている"これは現代の心にある人々の一致した実感ではないかと思 います。大は東西両陣営の対立、国内の階級と政党の対立から、小は一企業内の労使の対立、一家族内での新旧両世代の対立にいたるまで、私たち現代に生きる 人間をとりまくすべての環境と、あらゆる側面に、混乱と行き詰まりの現象が氾濫しています。現代とは、このような混迷と危機の時代であるとさえ特徴づける ことができそうです。

 人類の平和と福祉の達成という崇高な目的を掲げて、戦後発足した国際連合も、今では国家的エゴイズムの対立抗争の場となり、醜い政治的かけひきの 舞台となってしまっています。しかもその舞台の裏には、人類が第二次大戦において高価な犠牲を払って発明した核兵器の製造競争によって、人類全滅の第三次 大戦の危機さえひそんでいるのです。このような国際的な行き詰まりを説明するのに何も長々と紙面を費やす必要はないでしょう。なぜならば、明らかに人類の 生存に有害であることを百も承知しながら、なおも地球の上にまた海の中に、"死の灰"を間断なく撒き散らしている事実、そしてそれが世界の大衆から非難と 叱責を浴びながらも、どうしてもこの核実験をやめられない事実、これほど現在の世界の行き詰まりを象徴しているものはないからです。

 ところで、私たち事業経営の世界に眼を転じてみても、このような行き詰まりと混乱の現象は決して例外ではないようです。現代の企業において、労使 の対立はもはや日常茶飯事となってしまっている感じがあります。そしてますます近代化しマンモス化していく企業の中で、人間は資本や組織、機構のかげにか すんでしまい、それらの奴隷と化して、人と人との信頼や協力、人間の真の力、人間の真に働く姿はほとんど失われようとしているといっても過言ではありませ ん。

 このような経営の内部では、働く従業員の欲求不満や緊張感が人と人との間に壁をつくり、対立や摩擦を引き起こし、はては力と力で争う労働争議と なって現れてくるのは当然です。近年ますます激化の傾向をたどりつつある労使の対立、さらにはストライキ、ロックアウト等の労働争議は、事業経営における 行き詰まりと混乱を端的に示すものといえましょう。

 もちろん、このような状況に対処して、ヒューマン・リレーションズとかヒューマン・オーガニゼーションとかいうことがやかましく唱えられていま す。これらは、従来の極端な機械化や物質本位の行き方を改めて、働く従業員の人間性を尊重し、なんとか事業経営の行き詰まりを打開しようとする懸命な努力 の現われとみることができるでしょう。しかし私たちはそれらの理論や技術に頼りものみでは、行き詰まりの中にある経営や人間をはたしてどこまで救い出すこ とができるか、なお多くの疑問が残されているように思います。というのは、それらが人間の極端な物質化や、機械化の行き過ぎという天に眼をつけながら、そ してまた働く従業員の人間性の尊重という考え方にたちながら、結局その行き方が西欧固有の個人主義や物質本位の考えの枠から離れえないところに、依然とし て打ち砕くことができない「厚い壁」が横たわっているように思えるからです。科学的精緻を誇る現代経営理論や技術体系の限界がそこにあります。そして今、 この個人主義や物質尊重の厚い壁にさえぎられながら、それを打ち砕く新しい道を懸命になって探し求めている姿が、心ある経営者たちの共通の姿ではないかと 思います。

 このように、現代の危機と混乱は、国際政局にも事業経営にもさまざまな形をとって現れていますけれども、その根源は同じ一つのものです。すなわ ち、個人主義、権利思想、物質尊重主義こそ、それです。したがって、もし真剣に現代世界の危機、あるいは現代経営の行き詰まりを根本から解決しようと考え るならば、それらを生み出している根源を解決し、またはそれを乗り越えたところに求めるほかありません。そして私たち出光の人間は、この解決の道こそ、人 間尊重という形で古くから日本にあるものであり、要は、これを現代の諸条件の中で正しく活用し発展させることであると考えているのです。最近諸外国におい て日本ブームが巻き起こっていると伝えられますが、それは日本人の伝統的な人間尊重の姿が、ようやく海外にも認識されてきた証左ではないかと思われます。 私たちは、この人間尊重の道こそ、世界の行き詰まりや現代経営の危機を根本から解決する道であると確信しています。

 もっとも、現代の日本人の中には、世界の個人主義や人権思想の風潮に押し流され、激しい物質文明の波にゆすぶられて、自分の立っている伝統の道を 見失いそうな傾向がないとはいえません。ことに事業経営については、日本が近代国家として出発した明治の当初から、欧米の資本主義的経営法を100%採り 入れることによって発展してきた関係から、現在においても欧米式事業経営を、その物的技術はもちろん、経営を支える精神まですべて金科玉条としている傾向 があります。しかしながら、これが誤りであることは、わが国の事業経営における行き詰まりと混乱の姿をみれば一目瞭然です。そしてこの行き詰まりから脱出 するには、わが国の事業経営が、日本人には日本人の事業経営法があることを認識し、それを実行する以外にはないと私たちは考えます。

 著名なアメリカの経営学者であるドラッガーはそのことに関連して、「明日の世界がどのような世界になるか、自由の世界となるか、人間を尊重する世 界となるか、人間を卑しむ世界となるか、一致して働く世界となるか、反目し分裂した世界となるか、それは経営のあり方と経営者のやり方しだいだということ ができる。・・・・・そうした日本の経営のあり方や経営者のやり方は、来るべき世界のあり方を大きく左右するはずである」(日本事務能率協会編「ドラッ ガーの経営哲学」)と非常に示唆に満ちた言葉を述べていますが、なにもこのような海外の示唆を待つまでもなく、本来の日本人ならば誰でも当然しっていなけ ればならぬ事柄にすぎません。

 私たち出光興産は、創業以来50年(当時)、日本人の事業経営たらんことを目指し、この日本の伝統の道、人間尊重の道を歩み続けてきました。そし て少なくとも私たちは、個人主義や権利思想のつくり出す、人と人との対立や闘争を経験することなく、信頼と愛情の暖かい雰囲気に包まれ、一致団結して力強 く事業経営を展開してきました。

 国連の議事堂から事業経営の体内にまで見出される現代世界の行き詰まりを根本から解決する道が、結局この人間尊重の道以外にないことを強く自覚し ながら、以下数章にわたって、出光興産が一事業経営を通じ貫き、実践してきた人間尊重の姿を明らかにしたいと思います。

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このページは、宝徳 健が2006年10月 9日 11:05に書いたブログ記事です。

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