またしばらくいくと、同じような縄が一本落ちていました。さっき縄を拾った弟子は同じように拾って、匂いを嗅ぎましたが、今度は、ポイっと捨てて しまいます。
お釈迦様が、同じ縄なのに、さっきのは拾って、今度のは捨てた理由をその弟子に聞きました。すると弟子が「さっきの縄は実にいいにおいがしたの で、袋の中に入れましたが、後の縄は生臭く、嫌な、胸の悪くなるようなにおいがしたので、捨てました」と答えました。
お釈迦様は「おまえが拾った前の縄は、香木を縛って運んだ縄なのだ。香木を長い間縛っていたので、香木のよい香りがしみこんでいる。あとの縄は、 腐った魚を捨てるために縛って運んだ縄なのだ。同じ縄でありながら、ひとつは大切にしまわれ、ひとつは嫌がられてしまう。同じ縄でもそのように違う。香木 を縛る「縁」、腐った魚を縛る「縁」、縁ひとつで同じ縄でもそのように違ってしまう。人間も同じことである。縁ひとつで、よくもなり、悪くもなる。仏の尊 い教えに、常に接しているならば、ひとりでに尊い香気が備わるようになる。賎しいものたちと交わっていると、おのずから、賎しい風俗が身につく。縁ほど尊 いものはない」とおっしゃいました。
今、私たちの日本は、食べ物も食べられず、生きていけないような状態では決してありません。だけど、世の中が進化して、それに人間の強さが追いつ かず、商売や生き方が少し難しくなっている。難しいと言うことは、それを乗り切るチャンスを神様が与えてくれているのに、そこから逃げてしまう。逃げてし まうことによって、自分以外の他人の責任にし、自分自身を腐らせ、悪い縁を他に撒き散らすこととなります。
最近、少し力を出すのが不足しているんじゃないかなと自問自答している自分への言葉でした。自問自答している最中に出てきたことをご紹介しまし た。いい縁を結べる人間になるためには、もっと、他人に力を提供できるよう、自分自身が成長していきたいですね。
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