文王「天下は、いま栄えても、いつまた衰えるかわからないし、うまく治まっても、いつまた乱れるかわからない。なぜそうなるのか。君主の賢愚の違いによるものであろうか。それとも、天雲の移り変わりがそうさせるのかであろうか」
太公望「君主が愚かであれば、政治が乱れて国を危うくします。逆に、君主が賢明であれば、政治も安定して国も治まります。政治がうまくいくかいかないかは君主の責任であって、天運とは関係がありません」
文王「昔の賢者について話してほしい」
太公望「かつて帝堯(ぎょう)が天下を治められたが、さしずめ、この方などは賢君といえるでしょう」
文王「どんな政治をしたのか」
太公望「堯が電化を治めたとき、金銀や玉の飾りを身につけず、刺繍や柄のついた衣服も身にまといませんでした。珍奇な品や器にはいっさい目をくれ
ず、みだらな音楽も聞こうとしませんでした。宮殿や部屋は荒塗り、棟木や柱も荒削りのまま、庭一面に雑草が生えても刈り取ろうとはしませんでした。鹿の皮
で寒さを防ぎ、労働着をまとい、粗末な飯にアカザの汁。人民を使役するにしても、耕作や機織で忙しい時期は避けました。そして、ひたすら自分の欲望を抑え
て、無為の政治を行ったのです。
また、忠実に法を守る官吏は昇進させ、清廉で人民を愛する官吏には禄をはずんでやりました。人民に対しても、孝子や慈父を顕彰し、農業につとめる者を励
まし、善行は広く表彰しました。つねに公平な態度で筋を通し、法を適用して悪事を取り締まり、嫌っている相手でも功績をたてれば必ず賞を与え、目を書けて
いる相手でも罪を犯せば必ず処罰しました。老いて一人暮らしの者や幼くして親を失った者に対しては保護の手をさしのべ、災難にあって苦しんでいる言えには
救いの手をさしのべました。みずからの生活や極力切り詰めましたので、取り立てる税金を安くすることができました。その結果、人民は飢えや寒さに泣くこと
もなく、豊かな生活を楽しむことができたのです。
かくて堯は、人民から太陽のように仰ぎ見られ、父母のように親しまれたのです。
文王「素晴らしいものだなぁ。賢君の政治というのは」:
【解説】賢君の政治というものは、みずからの生活を質素にすることから始まるとうものです。その上で適材適所の人材登用を心がけ、恵まれない人にも救済の手をさしのべるということなのでしょう。土光さんや宇佐美の親父を思い出します。 ちょっと耳が痛い。
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