経営者必見!六韜三略:文韜

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  周は800年続きます。でも、何千年も前のこのような言葉が今も脈々と生き続けるって素敵ですね。論語もそうですし。世の中が乱れているときは、と ても悲しいことが起きますが、人間が成長するときでもあります。世の中が裕福なときは、人々が物事を考えなくなることから衰退していく。聖書でもそうです ね。ユダヤ人は、迫害されると自分たちの身をつつしみ、本来のすばらしい生活をしていく。裕福に成ると神のそんざいを忘れて乱れる。 私自身もそうです が。 人間の生き方って難しいですね。

 今日は、上賢篇(じょうけんへん)。登用してはいけない人間像を示しています。いつの時代でも、組織のためになるどころか、わが身かわいさに足を 引っ張る人がいます。ここでは、それを「六つの賊」と「七つの害」にまとめています。このような人物は登用するどころか、見つけたなら、即、つまみ出さな いと、彼らの垂れ流す害が組織中に回ってしまう恐れがあります。企業の中でも、置き換えて考えてみてください。

文王(以下、文)「王たる者は、どんな人物を尊重し、どんな人物を登用すべきであろうか。また、どんなことを禁止すべきであろうか」

太公望(以下、太)「不肖者を退けて賢者を尊重し、人をだますような人間は退けて誠実な人物を登用し、暴力と贅沢を禁止すべきです。それについては、"六つの賊"と"七つの害"というものがあります。」

文「もう少し詳しく聞かせてほしい」

太「まず、"六つの賊"ですが、それは次のようなことです。
  第一に、臣下の身でありながら、立派な御殿や庭園をつくり、遊びにうつつを抜かしている者。これ       は王の徳を損ないます。
  第二に、人民の中で、農事を怠って遊侠気どりで遊びまわり、役人の指示に従わないで、平気で        法令を犯す者。これは王の教化を損ないます。
  第三に、臣下で党派をつくって賢者の登用を妨げ、君主の明知を塞ぐ者。これは王の権力を損ない       ます。
  第四に、士のなかで、自説を主張して気炎を上げ、諸侯と交際して自国の君主を軽んずる者。これ       は王の威光を損ないます。
  第五に、臣下でありながら爵位を軽んじ、上司をバカにし、主君のためにあえて危険を冒そうとしな       いもの。これは功臣の苦労を損ないます。
  第六に、勢力家で、弱者を痛めつけて収奪している者。これは庶民の生業を損ないます。
  以上の者を"六つの賊"といいます」

太「次に、"七つの害"ですが、これは以下の者を指して言います。
  第一に、知略もなく権謀もないのに高い地位を与えられ、勇気にはやって無謀な戦いをしかけ、万       一の僥倖を期待する者。このような人間を将軍に任命してはなりません。
  第二に、評判が高い割りに実力がなく、その時々で言うことが食い違い、人の悪口ばかり口にし、       進退に抜け目がない者。このような人間を相談相手にしてはなりません。
  第三に、ことさら質素をよそおって、粗末な衣服を見につけ、無為無欲を口にしながら、実際は名声       や利益をほしがるのは食わせ者です。このような人間を近づけてはいけません。
  第四に、冠帯や衣服を飾り立て、学識をひけらかして空論を闘わせて外面を飾り、独り閑居して時       流を批判するのは、腹黒い人間です。このような人間を寵愛してはなりません。
  第五に、口先がうまく、たくみに取り入って官職を求め、俸禄のためなら、血気の勇にはやって命ま       で投げ出すこともいとわない。しかし、 国家の大事には無関心で、だた利益を求めて行動        し、空虚な意見をえらそうに説きたてる者。このような人間を任用してはなりません。
  第六に、器物や建物に彫刻を施し、金銀をちりばめ、きらびやかな装飾を事とし、農事を怠る者。こ       のようなことは断固禁止しなければなりません。
  第七に、怪しげな方術やまじない、邪教、不吉な予言によって良民を惑わす者。これも必ず禁じな        ければなりません。

  "七つの害"とは、以上のような人間を指しています。

 したがって、生業を怠るような人間は、わが領民といえません。誠実でない士はわが士とはいえません。同様に、諫言をしない臣下は、わが臣下といえ ませんし、不公平で人民を愛さない官吏は、わが官吏といえません。また、宰相の務めは、富国強兵をはかり、陰陽を調和して君主の心を安んじ、群臣を監督 し、勤務を評定して賞罰を明らかにし、民生の安定をはかることにありますが、これができなかったら、わが宰相とはいえません。

 一方、王たる者は、竜が頭をもたげているように、高いところに座って遠くまで見通し、物事を深く洞察し、臣下の意見によく耳を傾けることです。た だし、姿は現しても、心の動きを察知されてはなりません。それはあたかも、天が高くその果てを極めることができず、淵が深くてその深さを測ることができな いようなものです。
 したがって、王たるものが、怒るべきときに怒らなかったら、奸臣がのさばりましょうし、殺すべきときに殺してしまわなかったら、大賊がはびこりましょう。また、討つべきときに討つことをためらったのでは、みすみす敵にしてやられましょう。」

文「よくわかった」

 昨日の握手は、41回、昨日集計間違ったかな。累計で308回です。

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このページは、宝徳 健が2007年1月19日 06:03に書いたブログ記事です。

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