久しぶりに宇佐美史郎氏の話です。最近、とっても思い出すことが多い。
あるとき、一緒に車に乗っていて、ある工場の大きな建物がありました。よく覚えていませんが、その会社の名前がとてもユニークでした。そして、氏
が、私に聞きました。「宝徳、あの会社の名前は、なぜ、あんな名前なのかなぁ」 私は答えました。「そんなことわかりませんよ」。
そしたら、怒られました。「誰がお前に正解を求めていると言った! 正解なんかわかるはずがないだろう。そうではなくて、ここの創業者はなぜ、あのよう なユニークな名前をつけたのだろうか、ということで、考えてみることが大切なんだ。たとえば、新聞のチラシを見て、ただ価格など漠然と眺めているだけでは だめだ。これを作った人はなぜ、このようなデザイン・レイアウトなどにしたかを一生懸命考えてみることが大切なんだ。お前は、気づこうとしていない。考え ようとしていない。だから生きようとしていない。どんなに知識があってもだめだ」
そしたら、怒られました。「誰がお前に正解を求めていると言った! 正解なんかわかるはずがないだろう。そうではなくて、ここの創業者はなぜ、あのよう なユニークな名前をつけたのだろうか、ということで、考えてみることが大切なんだ。たとえば、新聞のチラシを見て、ただ価格など漠然と眺めているだけでは だめだ。これを作った人はなぜ、このようなデザイン・レイアウトなどにしたかを一生懸命考えてみることが大切なんだ。お前は、気づこうとしていない。考え ようとしていない。だから生きようとしていない。どんなに知識があってもだめだ」
一言も返せませんでした。内臓が全部、ぐっとしまりました。とても恥ずかしくなりました。
私たち現在の日本人は裕福な社会に住んでいます。考えなくても今日も明日も生きていくことができます。考えなくても飢えることがありません。
明治期、ロシアに征服されるような恐怖感で必死に生き抜いて日本を守ってくれた私たちの祖先。大東亜戦争後、必死に世界に伍する国を作り上げてくれた先輩たち。きっと、必死になって考えたのでしょう。
今の私がどうかというと、まだまだです。久しぶりにこのことを思い出して、反省させられました。今まで、何人かのすばらしい経営者にお会いしてき ました。私の人生が終わる一秒前までに、この方達のレベルのどこまで近づけることなのでしょうか。それを目標に、もう一度自分を見直してみます。
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