どの本よりもわかりやすいギリシャ神話

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  さて、前回は、テセウスとアリアドネがクレタ島を脱出した話まででした。この話を聞いた、クレタ島のミノス王は、激怒しました。このままにしておいては、王の示しがつきません。
 怒りはまず、アリアドネに脱出方法を教えた、迷宮の設計者ダイダロスに向けられました。そして、ダイダロスと息子のイカロスは、迷宮に閉じ込められてしまいました。
  クレタ島を逃れたテセウスとアリアドネは、ナクソス島というところに寄りました(アテネに帰る前に)。

 この島は、ディオニュソス神の住むところでした。ディオニュソスは、酒と収穫の神様です。彼はゼウスの息子でありながら、その凶暴さと素行の悪さから、オリンポス十二神にははじめ、加えられませんでした。

 ディオニュソスはふたりをみて、「ふ~ん、ミノタウロスを一撃で倒したのか。娘、お前も、かけおちとは、なかなかたいしたものだな。まあ、ふたりとも飲め」。

 こうして、ディオニュソスはふたりを酔いつぶしてしまいました。ディオニュソスは、酔いつぶして、アリアドネをいただくつもりだったのです。テセウスは、寝ています。
 アリアドネは、暗い寝室で誰かに抱かれていることを感じました。最初はてっきりテセウスと思ったのですが、どうも、いつもと感じが違う。そうです。ディ オニュソスがアリアドネを抱いていたのでした。アリアドネは抵抗しますが、抵抗すればするほど、ディオニュソスはそそられ、そして体液を彼女の体内に放出 します。それどころか、朝まで、何度もアリアドネを抱いたのでした。

 次の朝、ディオニュソスは、テセウスにこのことを告げます。そして、彼女を置いていくのなら、神の加護を与えることを約束します。

 テセウスは、ひとりで出向しました。アリアドネはおいていかれたのです。かわいそうなアリアドネ。
テセウスはあまり、アリアドネを愛していなかったのかもしれませんね。

 テセウスは郷里であるアテネに向かいます。テセウスは、父である王に、自分が生きて帰ってくるときは、白い帆を、死んで帰ってくるときは、黒い帆 を揚げると約束していました。テセウスの帆は、最初、アリアドネを失った悲しみに、黒い帆を揚げていました。でも、そのまま白い帆に代えるのを忘れてし まったのです。並みの遠いかなたから、黒い帆を揚げた船が帰ってくるのをみて、悲しみのあまり、父である王は、身投げをして死んでしまいます。テセウス は、その後、それらの不幸にも負けずアテネの王となりました。

 さて、迷宮に閉じ込められたダイダロスとイカロスはどうなったのでしょうか?

 設計者であるダイダロスも脱出方法はわかりません。イカロスは「お父さん、どうしましょう?」といいますが、そこは科学者ダイダロス。そうだ、空がある。鳥の体を観察して、ふたり分の翼をつくりました。

 「イカロス、お前はこれをつけろ。私は、こっちだ。しかし、調子に乗ってあまり高くまではあがるなよ」

 そうして、ふたりは迷宮を下にして、高く舞い上がりました。若いイカロスは、父親の忠告にもかかわらず、高く上がりすぎ、太陽に近づくにつれて、翼と体の接着剤として使った、蝋がとけてしまい、まっさかさまに海に落ちてしまったのです。有名な話ですね。

 この迷宮は御伽噺として考えられていましたが、20世紀に入って、イギリスの考古学者アーサー・エヴァンスがクレタ島で、複雑な回廊をもった壮大な宮殿のあったことを証明しました。

 トロイの木馬といい、いい話ですね。どきどきします。

昨日の握手は一回  累計で387回です。

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このページは、宝徳 健が2007年1月26日 07:40に書いたブログ記事です。

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