経営者必見!六韜三略:武韜

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  今日から、武韜の巻です。
 孫子の兵法にも見られますが、「戦わずして勝つ」ということが、昔の中国の考え方でした。そのためにも、政治戦略が重視されなければなりません。政治戦 略はふたつに分かれています。①国内の政治を整えて、人民の支持を得ること。②政治的な策略を駆使して、相手の内部体制を崩壊せしめること。
 武力を使わないで効率的に勝つことです。
  今日は、発啓篇。六百数十年に及んだ殷王朝も、紂王と側室妲己(だっき)の暴政により乱れます。それを倒し、周王朝を作ったのが、文王の息子武王です。文王は、志半ばで、病に倒れてしまいます。その参謀が太公望であることは、言うまでもありません。
 他の諸侯が見放した紂王を、諸侯の間で最も尊敬を集めている文王が決起して撃つ。こんな大義名分があるのに、太公望は、あくまでも慎重です。戦わずして 勝つことが理想だからです。前述したように、政治を整え、民心を得れば、天下の人々はおのずから帰服しますし、かりに軍を動かしても、天下の支持を得るこ とができます。まさに、天の時、地の利、人の和の三つがそろわないとだめなことをあらわしていますね。

文王(以下、文)「殷の紂王は、暴挙を極め、罪のない人間を殺しまくっている。そなたは私を助けて民を案じているが、いったいどうしたものであろうか」
太公望(以下、太)「ひたすら徳を磨いて賢者にへりくだり、人民に恩恵を垂れて天道の指し示すところをお確かめください。天道が災いを下し、人民に災いが ふりかかっていなければ、紂を討つことを口にしてはなりません。それらの災いがくだっているのを確かめてから兵をあげても、決して遅くはないでしょう。
 相手の心を確かめるには、表側だけではなく、裏側も見極めなければなりません。意向を確かめるには、外側だけではなく、内側も見届けなければなりません。また、実情を確かめるには、どんな人物を遠ざけ、どんな人物を近づけているかを知る必要があります。
 このような道筋に従って、事を進めれば、必ず、目的を達することができましょう。また、礼を定めれば必ず実行され、戦をすれば必ず勝つことができます。 ただし、理想的な勝利は戦わずして勝つことであります。王者の軍は、けっして傷つくことはありません。これは神のはたらきとも通じるものがありまして、き わめて微妙なものであります。
 それを少し説明してみましょう。

 病を同じくする者が助け合い、心を同じくする者が協力し合い、憎しみを同じくするものがかばいあい、好みを同じくする者が手をたずさえて進むので す。だからこそ、武器などもたなくても戦いに勝つことができるし、攻城兵器がなくても城を攻め落とせるし、堀などなくても守りきることができのです。

 大智は、智をひけらかしません。大謀は、ことさら計らわないもの。また、大勇は、やたら勇を誇示しません。大利は、はじめから利を念頭におかないもの。これらをもって、天下に利益をもたらす者が天下への道を切り開き、外をもたらす者は、その道を閉ざされてしまいます。

 天下というのは、君主ひとりのものではなく、天下万民のものです。その天下を取るのは、野獣を追いかけるようなもの、天下の人々はみな、仕留めた 獲物の分配にあずかりたいと願っています。またそれは同じ船に乗り合わせて河を渡るようなもの、無事にわたり終えれば全員利益を得ますが、失敗すれば全員 被害を受けます。ですから天下の人々は、利益を与えてくれる者には道を開き、ひとりとして邪魔をする者はいないのです。

 つまり、人民から収奪しない人物が、民心をつかんで支持をかちとることができるのです。同様に一国を我が物にしようとしない人物が国中の支持をか ちとり、天下を我が物にしようとしない人物が天下の支持を勝ち取るのです。このあたりの機敏は、目で見ることも耳で聞くこともできませんし、知ることもで きません。なんと微妙なものではありませんか。

 猛禽が一撃を加えようとするときは、まず低く飛んで翼をすぼめ、猛獣が襲いかかろうとするときは、まず耳を垂れて身を伏せるもの。聖人も行動を起こすときには、愚者のようなふりをして力を誇示しないものです。

 いま、殷の紂王を見るに、日々逸楽にふけり、奸臣の言に惑わされて朝政は混乱を極めております。これはまさしく亡国の兆しにほかなりません。その 田野には穀物をおしのけて雑草が繁茂しておりますし、民衆にしても、正直者が邪悪な人間にしいたげられています。また、役人は法を無視して刑罰を乱用し、 やりたい放題勝手なことをしていますが、それを咎める者もおりません。亡国の時が迫っているのです。

 太陽が輝きますと、万物はみな照らされます。それと同じように、聖人の大儀が発揮されますと、万物はみな利益を受け、聖人の大軍が動員されます と、万物はみな帰服するのです。聖人の徳はまことに偉大です。聖人だけが見えないものを見、聞こえないものを聞くことができるのですから、なんと楽しいこ とではありませんか」

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このページは、宝徳 健が2007年2月21日 00:24に書いたブログ記事です。

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