坂村真民先生の素晴らしい詩があります。暗唱したいので記しておきます。
騙(だま)されて良くなり 悪くなっては駄目
いじめられて強くなり いじけてしまっては駄目
踏まれて起きあがり 倒れてしまっては駄目
いつも心は燃えていよう 消えてしまっては駄目
いつも瞳は澄んでいよう 濁ってしまっては駄目
すばらしい詩ですね。
先生が、鍵山秀三郎氏の著書「凡時徹底」の序のことばで、以下のことを述べられています。
(以下、抜粋)
不動の商魂、それは凡に徹することである。これさえ身につければ、お金は向こうからやってくる。これは商の常道であり、普遍の哲理である。
わたしが、常々言っているのは、男は何に命を掛けるか、であり、また他の人にできないことを一つでもいい、身につけること、であり、そしてこれを実践することである。
わたしが鍵山さんを尊敬するのは、この二つをもっていられるからである。
わたしの詩に、尊いのは足の裏である、というのがあり、多くの人によく読まれ知られているが、でも本当にこれを毎日の生活のなかで実践している人は少ない。
東洋では足心呼吸という。つまり足心に心を置いて自己を見、他人を見、仕事をしてゆく観法である。こういうことも鍵山さんは身につけておられる。まさに凡中の凡である。言いかえれば非凡の人である。
わたしhの好きな禅語に、万里一条鉄というのがある。これは徹することであり、持続することである。
天下に名をなす人は。みなこの凡から出、凡に徹しきっている。
凡時徹底
この四字こそ、商人道の根幹であり、運をつかむコツである。
二十一世紀が、もうそこまできているが、まだこれという光は謝していない。英雄、偉人の時代は去った。これからの世は、衆と共に生きてゆく、そういう人が待望され、仰望されるであろう。
凡聖不ニという仏語があるが、この言葉の持つ意義の深さを、しみじみと感得させる著書である。
先生が、鍵山秀三郎氏の著書「凡時徹底」の序のことばで、以下のことを述べられています。
(以下、抜粋)
不動の商魂、それは凡に徹することである。これさえ身につければ、お金は向こうからやってくる。これは商の常道であり、普遍の哲理である。
わたしが、常々言っているのは、男は何に命を掛けるか、であり、また他の人にできないことを一つでもいい、身につけること、であり、そしてこれを実践することである。
わたしが鍵山さんを尊敬するのは、この二つをもっていられるからである。
わたしの詩に、尊いのは足の裏である、というのがあり、多くの人によく読まれ知られているが、でも本当にこれを毎日の生活のなかで実践している人は少ない。
東洋では足心呼吸という。つまり足心に心を置いて自己を見、他人を見、仕事をしてゆく観法である。こういうことも鍵山さんは身につけておられる。まさに凡中の凡である。言いかえれば非凡の人である。
わたしhの好きな禅語に、万里一条鉄というのがある。これは徹することであり、持続することである。
天下に名をなす人は。みなこの凡から出、凡に徹しきっている。
凡時徹底
この四字こそ、商人道の根幹であり、運をつかむコツである。
二十一世紀が、もうそこまできているが、まだこれという光は謝していない。英雄、偉人の時代は去った。これからの世は、衆と共に生きてゆく、そういう人が待望され、仰望されるであろう。
凡聖不ニという仏語があるが、この言葉の持つ意義の深さを、しみじみと感得させる著書である。
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