経営者必見!六韜三略:文韜

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   さて、六韜三略の文韜最後の章です。繰り返しますが、六韜三略は、六巻六十篇からなっており、文韜は、その最初の巻です。 文韜は、「文師」から「兵道」まで十二編からなり、戦いを始めるにあたってどんな準備が必要なのか、もっぱら政治の問題をとりあげています。
 さて、文韜の最後の章、兵道篇をお楽しみください。用兵はどうあるべきか。昔の中国は(今は絶対に違う)、「兵は凶器」として、軽々しく使うことを戒め てきました。孫子の兵法をご覧になっても一目瞭然です。太公望も同じ事を述べています。今の中国の指導者に知ってもらいたいものです。
  ただ、戦力互角の場合の闘い方として太公望が述べているのは、
①敵の目をくらまし判断を惑わす
②東を撃つとみせかけて西を撃つ
③先手をとって相手の不意を襲う

 です。これは、今の中国もうまいですね。日本は、実直なためにこのあたりがへたです。

武王(以下、武)「用兵の道はどうあるべきか」
太公望(以下、太)「用兵の道は、"一"、すなわち、全軍を一丸となって戦わせることがもっとも肝心です。これなら、進むも退くも、自在に戦うことができ ましょう。むかし、黄帝(こうてい)も「一は道に通じ、神に近い」と語っていますように、軍を動かすときには、好機をとらえ、勢いに乗じなければなりませ んが、それはひとえに君主の決断にかかっています。だから聖君は、兵を凶器とみなし、万やむえないときに行使したのです。
 ところが殷の紂王は、国が滅亡に瀕していることにも気づかないで、いつまでも存続するものだと思い込み、やがて身に災いが及んでくることにも気づかない で、楽しみに溺れました。しかしながら、国はいま繁栄しているからといって、いつまでも繁栄するわけではありません。つねに滅亡にいたらないように心を引 き締めるから繁栄が持続するのです。楽しみにしても同じこと。今の楽しみに溺れないで、つねに災いのやってくることを恐れているから、持続させることがで きるのです。
 王はこのような根本の問題をよく心得ておられる。軍事などという末節の問題をご心配になる必要はありません」

武「そこをあえて聞きたいのだが、かりに両軍が対峙したとする。敵も攻めてこない。こちらからも攻め手がつかず、互いに守りを固めて、相手の出方をうかがっている。こんなとき、こちらから撃って出たいのだが、へたに出ると不利を免れない。どうすればよいか」

太「態勢を整えながら、混乱しているように見せかけ、腹いっぱい食らいながら、飢えているように見せかけ、精鋭を内に隠して弱兵を表に配置し、集合 させたり分散させたりして統制が取れていないようにみせかけます。そして、こちらの作戦はあくまでも秘匿し、塁を高くして精鋭を伏せ、じっと鳴りをひそめ ているのです。その上で、西を攻略したかったら、まず東を攻撃して敵の注意をそちらにひきつけ、手薄になった西を一気に攻略するのです」

武「わが方の内情や作戦が敵に筒抜けになっていたら、どうすればよいか」

太「戦に勝つためには、敵が仕掛ける一瞬の隙をとらえて先手をとり、すばやく敵の不意を衝くことです」

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このページは、宝徳 健が2007年2月16日 06:40に書いたブログ記事です。

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