将たる者の条件は何かと、武王が太公望に聞きます。太公望は、勇、智、仁、信、忠の五項目をあげます。勇とは勇気、智とは洞察力、仁とは思いやり、信とはうそをつかないこと、忠とは誠実であること。ただし、過剰しすぎるとマイナス面に注意が必要です。つねにバランスが必要なのでしょうね。
孫子の兵法や六韜三略を勉強していると、日露戦争時代の日本軍の作戦とよくにてにています。小国としての理にかなったもので。この頃の日本人は、古典をよく読んでいたのでしょうね。
大東亜戦争時代の日本の作戦は、まったく理にかなっていません。あの戦争が決して侵略戦争などではなかったことは、私たち日本人がこれから勉強していかなくてはいけないことですが、軍部の作戦侵攻は、海外に対してではなく、国民に対して責任があります。
陸軍大学も海軍大学も、勉学優秀なる者をトップの地位につけたと聞きます。中国のある古典では、一等の人間は徳を持つものとなっています。勉学は三等となっています。明治の日本と、昭和初期の日本の人間の扱い方の差がでたのでしょうか。
となると、今の日本は・・・・・。
私たちは、過った教育を受けてきたみたいです。もういちど、勉強しなおさないと・・・。
でも、今日の論将篇は、ちょっと自分の耳に痛いかな? 私もまだまだ将にあらず。
武王(以下、武)「将たる者の条件とは何か」
太公望(以下、太)「それについては、"五材"と"十過"があります」
武「どうか詳しく教えて欲しい」
太「"五材"とは、勇、智、仁、信、忠の五つの条件を言います。勇であれば、恐れを知らないので侮れれることはありません。智であれば、いかようにも対応できますので、かき乱されることはありません。仁であれば、思いやりがありますので、人から心服されます。信であれば、人を欺きませんので信頼を集めることができます。忠であれば、二心を抱きません。
つぎに、"十過"とは、以下の十の欠点を言います。
一、勇にはやって死を軽んずる者
一、短期でせっかちな者
一、欲が深くて利益を好む者
一、仁がありすぎて厳しさに欠ける者
一、智はあるけれども臆病な者
一、どんな相手も軽々しく信用する者
一、清廉であって人にもそれを要求する者
一、智がありすぎて決断できない者
一、意志が強くなんでも自分で処理する者
一、意志が弱くなんでも人任せにする者
敵の将軍がこのような欠点を持っていたら、次のように対応します。
勇にはやって死を軽んずる相手なら、挑発して攻めます
短期でせっかちな相手なら、持久戦に持ち込みます
欲が深くて利益を好む相手なら、賄賂を贈って抱き込みます
仁がありすぎて厳しさに欠ける相手なら、手段を講じて疲れさせます
智はあるけれども臆病な相手なら、策を使って行き詰らせます。
どんな相手も軽々しく信じる相手なら、ペテンにかけてあざむきます
清廉であって人にもそれを要求する相手なら、侮辱して怒らせます
智がありすぎて決断ができない相手なら、すかさず攻撃をかけます
意志が強くなんでも自分で処理する相手なら、どんどん仕掛けて疲れさせます
意志が弱くなんでも人任せにする相手なら、だまして計略にかけます
いずれにしても、戦いは国の大事、存亡の分かれ道であり、その責任は将たるものの肩にかかっています。まさに将は国の補佐役でありまして、先王も重視したところ。その任命はくれぐれも慎重にしなければなりません。
戦いは、双方が勝つこともありませんし、双方が敗れることもありません。だから、いったん国境を越えたら、十日以内に敵をやっつけてしまわなければ、逆に、こちらがしてやられ、将を討ち死にさせる羽目になりましょう」
武「よくわかった」
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