交流分析(TA)の始祖である エリック・バーンは、防衛機制を崩すことが無理であるならば、患者がそれに気づくことで、ゲームを演じなくなる指導方法をとりました。
夫婦のゲームでよくあるのが(我が家ではしょっちゅうです)、電気をつけっぱなしにするとか、部屋の掃除が行き届いていないとかの理由で喧嘩が絶えないことです。
これは、「さあ、とっちめてやるぞ、このやろう」というあら捜しのゲームです。
防衛の面からいうと、お互いに親密になるのを怖れている夫婦が、相手を支配する形で、その恐怖を防衛している(怒りの正当化)状態です。
これを、仲裁にはいろうなど、恐ろしいことをして、下手に解釈したりすると、夫婦は防衛をより強固なものにします。
バーンの治療法では、このときに「ゲームの利益」を考えさせます。つけっぱなしの電気がどんなに積み重ねても、月にいくらにもならないこと、そんなことで喧嘩している不利益や、あら捜しにかける時間とエネルギーの非合理性などです。
まあ、しかし、まずは、どんなゲームがあるか知ること。今日は、以下のゲームです。
【さあ、つかまえたぞ、このやろう】
私がサラリーマン時代、ふたつ向こうの課で毎朝の定例行事がありました。それは、毎朝、その課の課長が、特定の人(同じ人)を1時間くらい怒るのです。
私は、遠くの席から「あの時間もったいないなぁ」といつも思っていました。これは、明らかに「さあ、つかまえたぞ、このやろう」です。職場でゲームが生
じたら、絶対に避けなければなりません。生産性が著しく低下します。ただ、ゲームをしている方が楽なので、毎日毎日、この後味の悪いことを繰り返していま
す。
このゲームは、悪者役を探して徹底的に正義をつらぬくという意味で、ハッスルして攻撃する人が出現します。相手役として「いじめられ役」が必要で す。怒る側は、徹底的に怒ることが正当な理由をもってできます。怒るということによって、自分自身の欠点に直面しなくてすみます。弱みを持つ者にとっては かっこうのゲームです。また、徹底的にいじめられ役をやっつけることで、自分が社会的に自信を持っていきます。また、いじめられ役も、無自覚的に、悪いこ とをして怒られ、そして、自分の存在意義を示そうとします(これは、「うすのろゲーム」といいます)。
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