さて、ゲーム分析を読まれて、ドキッとすることと思います。やってますよね? ゲーム。ふっふっふ。
でも、ゲーム分析は、過去を振り返り、反省するものではありません。未来志向です。ゲームの種類を知って、自分の陥りやすいゲームを知って、それをしないようにしていく。つまり、他の精神分析学よりも、教育的要素が強いのです。
再度、申し上げます。ゲーム分析は、ある種の問題をめぐって、普遍的に行われやすいゲームを知って、それを参考にして、自らの歪んだ交流様式に気づくよ うに指導・教育していくものです。軽度のものでしたら、自分で治すことができるので、TAが広く普及しているのでしょう。
今日は、「裁判所ごっこ」です。
【裁判所ごっこ】
よく夫婦間で行われるゲームです。
例えば、子供がけんかをします。その母親が喧嘩を止めようとする。そして言い合っています。そこへ父親が帰ってきます。父親が裁判官役になって、子供と母親の葛藤を裁くというようなケースです。
うちの家は、私があまり、家に戻らないものですから、たまに家に戻るとき、この裁判所ごっこが良く起こります。私が余り相手にしないと、「冷たい」とい
われます。ここが勝負どころ。ここで、「冷たいと思われるから、ちゃんと対処してあげないと」と考える人は、自分もゲームをしやすい人です。巻き込まれる
と、延々と非生産的な時間が費やされます。また、巻き込むまで、キック・ミーをやってきます。
この裁判所ごっこで、裁判官役になる人(この人もゲームをしています)は、裁かれなくてすむという快感を味わいます。そして、被告側も原告側も、面白くない状態でありながら、無自覚的に、自分の存在意義を示すことができます。
この裁判所ゲームは、他のゲームとよく連動します。
たとえば、自分に気に入らない判決が出たときに、自分の部屋のドアを「バタン」と大きな音を立てながら締めるケース。これは「からさわぎ」のゲームです。
また、一人の欠点を挙げ連ね、それを認めてしまった判決が出る場合。「あなたは、こんな欠点があるんだから、気をつけないと」「そうね」という ケースにいたった場合です。これは「スィートハート」というゲームです。パーティや会食の席などで、よくご主人が「うちの家内は・・・」といいながら、わ ざと自分の奥さんを卑下し、奥様も「そうなんですよ~」といいながら、内心面白くない思いをするケースです。どちらも、無自覚的に、自分の存在意義を高め ています。
おもしろくもあり、恐くもあるゲーム分析。あなたはどうかな? くれぐれも、他人のことを思うのではなく、自分のことを考えてみてください。他人はいじれません。いじれるのは自分だけ。
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