親父は、何回かに分けて、東海道を歩ききっています。最終日は、とても暑い日。やめろというのにやめない。昔の人は意志が強い。おっと、昔の人なんていう
と、怒られます。なんせ、私の子供の子供(つまり孫)が大きくなったら一緒に飲むつもりですから、気持ちは、すごく若い。この前なんか、甥に子供が生まれ
たら、その子供の子供(つまり玄孫)と飲むとのたまっていました。150歳まで生きるそうです。
今回は、琵琶湖紀行です。
今回は、琵琶湖紀行です。
琵琶湖疎水に沿って京都・岡崎を歩く
京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、烏丸御池で地下鉄東西線に乗り換えて4駅目、「蹴上駅」がスタートとなる。
蹴上駅から地上に出ると、そこは三条通。駅のすぐ脇のトンネルをくぐり、トンネルを出てすぐ右折すると、散歩道の突き当たりに噴水があり、さらに進むとインクライン沿いに台車と舟の置かれた場所に到着する。
インクラインは、傾斜鉄道と呼ばれている。東京遷都によって賑いを失った京都の街の復興対策として、明治23年(1890)、琵琶湖から水を引いた「琵 琶湖疎水」が完成した。この水路は、生活用水や工業用水として利用されたが、水路に舟を浮かべて琵琶湖沿岸地方と京都との水上バイパスが造られた。
琵琶湖疎水は大津で取水され、東山をトンネルでくぐり、ここ「蹴上」の水力発電所で利用された。この発電所は日本で最初の水力発電所で、ここで得られた電力により、京都では日本で最初の市電が走ることになった。
ちなみに、九条山から蹴上にかけては33mの落差が生じたため、この急勾配区間にレールを敷き、大津から疎水を下ってきた舟は、いったん台車に載せられ、レールを使って上下したといわれる。
インクラインはその後の交通機関の発達で利用されなくなってしまったが、疎水は現在も京都の街を流れている。蹴上からはこのインクラインと疎水に沿って岡崎を目指して歩く。しばらくは、レールに沿って作られた遊歩道を歩くことになる。
左手には蹴上発電所の建物が見え、しばらく行くと「南禅寺前の交差点」。交差点を渡ると右手の疎水は川幅も広がり、ゆったりと流れるようになる。川底が透 けて見えるほどの奇麗な流れに心を和ませながら行くと、やがて「神宮道」。右手には「平安神宮の大鳥居」が見える。ここでいったん疎水べりを離れて、平安 神宮に向かう。
神宮道を北上すると突き当りが「平安神宮」。明治28年(1985)、平安遷都1100年を記念して建立された神社で、京都の神社としては比較的新しいも のになるが、興味深いことは、ここの社殿が1200年前の平安京にあった大極殿を再現した建物であること。大極殿は平安京の政庁で、内裏の中枢をなす建 物。桓武天皇をはじめ多くの天皇が政治を行った平安京の中心だった。当初の計画では、大極殿をはじめ政庁の12の建物が実物大で再現されるはずだったのだ が、ちょうど日清戦争が勃発したため計画が変更され、建物は大極殿と慶天門の二つになり、大きさも実物大の三分の二に縮小されることになったという。
とはいえ、そのスケールの大きさにやはり目を見張るものがある。1200年前の古都に、これよりもはるかに大きな建物があったという、そのことに思いがいたると改めて感動してしまう。
「大鳥居」から歩いてくると、正面に広がるのが「慶天門」。二層の楼門形式の門で、丹塗りという鮮やかな朱色の建物と、壁瑠璃という緑がかった青色の屋根 のコントラストが印象的だ。門をくぐると一面に白砂が敷き詰められ、一段高くなったテラスのような龍尾壇の向こうに大極殿が見える。その両脇、回廊で結ば れた建物は白虎楼と蒼龍楼と呼ばれている。白虎楼の脇から神苑に入ることができる。
「神苑」は約3万平方メートルの池泉回遊式庭園で、東・西・中・南の四つに分かれており、四季折々の花に彩られる。ちなみに神苑の池は「琵琶湖疎水」の水 を引き込んで造ったもの。平安神宮の散策を楽しんだあとは、さらに疎水に沿って冷泉通を進むと、やがて疎水は田辺橋の先で鴨川へと合流していく。田辺橋か らは田端通を北へ200mほどで、「地下鉄烏丸線の丸太町駅」に到着する。
この日は京都で松山海軍航空隊の同期会があったので、開会前に南禅寺・哲学の道・平安神宮・八坂神社・祇園と京都疎水沿いを歩いた。
京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、烏丸御池で地下鉄東西線に乗り換えて4駅目、「蹴上駅」がスタートとなる。
蹴上駅から地上に出ると、そこは三条通。駅のすぐ脇のトンネルをくぐり、トンネルを出てすぐ右折すると、散歩道の突き当たりに噴水があり、さらに進むとインクライン沿いに台車と舟の置かれた場所に到着する。
インクラインは、傾斜鉄道と呼ばれている。東京遷都によって賑いを失った京都の街の復興対策として、明治23年(1890)、琵琶湖から水を引いた「琵 琶湖疎水」が完成した。この水路は、生活用水や工業用水として利用されたが、水路に舟を浮かべて琵琶湖沿岸地方と京都との水上バイパスが造られた。
琵琶湖疎水は大津で取水され、東山をトンネルでくぐり、ここ「蹴上」の水力発電所で利用された。この発電所は日本で最初の水力発電所で、ここで得られた電力により、京都では日本で最初の市電が走ることになった。
ちなみに、九条山から蹴上にかけては33mの落差が生じたため、この急勾配区間にレールを敷き、大津から疎水を下ってきた舟は、いったん台車に載せられ、レールを使って上下したといわれる。
インクラインはその後の交通機関の発達で利用されなくなってしまったが、疎水は現在も京都の街を流れている。蹴上からはこのインクラインと疎水に沿って岡崎を目指して歩く。しばらくは、レールに沿って作られた遊歩道を歩くことになる。
左手には蹴上発電所の建物が見え、しばらく行くと「南禅寺前の交差点」。交差点を渡ると右手の疎水は川幅も広がり、ゆったりと流れるようになる。川底が透 けて見えるほどの奇麗な流れに心を和ませながら行くと、やがて「神宮道」。右手には「平安神宮の大鳥居」が見える。ここでいったん疎水べりを離れて、平安 神宮に向かう。
神宮道を北上すると突き当りが「平安神宮」。明治28年(1985)、平安遷都1100年を記念して建立された神社で、京都の神社としては比較的新しいも のになるが、興味深いことは、ここの社殿が1200年前の平安京にあった大極殿を再現した建物であること。大極殿は平安京の政庁で、内裏の中枢をなす建 物。桓武天皇をはじめ多くの天皇が政治を行った平安京の中心だった。当初の計画では、大極殿をはじめ政庁の12の建物が実物大で再現されるはずだったのだ が、ちょうど日清戦争が勃発したため計画が変更され、建物は大極殿と慶天門の二つになり、大きさも実物大の三分の二に縮小されることになったという。
とはいえ、そのスケールの大きさにやはり目を見張るものがある。1200年前の古都に、これよりもはるかに大きな建物があったという、そのことに思いがいたると改めて感動してしまう。
「大鳥居」から歩いてくると、正面に広がるのが「慶天門」。二層の楼門形式の門で、丹塗りという鮮やかな朱色の建物と、壁瑠璃という緑がかった青色の屋根 のコントラストが印象的だ。門をくぐると一面に白砂が敷き詰められ、一段高くなったテラスのような龍尾壇の向こうに大極殿が見える。その両脇、回廊で結ば れた建物は白虎楼と蒼龍楼と呼ばれている。白虎楼の脇から神苑に入ることができる。
「神苑」は約3万平方メートルの池泉回遊式庭園で、東・西・中・南の四つに分かれており、四季折々の花に彩られる。ちなみに神苑の池は「琵琶湖疎水」の水 を引き込んで造ったもの。平安神宮の散策を楽しんだあとは、さらに疎水に沿って冷泉通を進むと、やがて疎水は田辺橋の先で鴨川へと合流していく。田辺橋か らは田端通を北へ200mほどで、「地下鉄烏丸線の丸太町駅」に到着する。
この日は京都で松山海軍航空隊の同期会があったので、開会前に南禅寺・哲学の道・平安神宮・八坂神社・祇園と京都疎水沿いを歩いた。
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