自分に何が足りないんだろう(5月14日の日誌)

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   昨日のルーティンは10個です。ひよこクラブの仲間にはメーリングリストで11個と報告したのに。完結したとおもっていた、ひとつのルーティンが少し欠けていました。いったい何なんだろう。自分で決めたことを忘れる。期日が100%守れない。一日や一週間の生活・仕事のイメージが正確に描けない。やればやるほど、自分の弱さを知ってしまいます。今月号の月間致知に、市江由紀子さんという方が載ってらっしゃいました。1歳のときに脊髄性進行性筋萎縮症を発症され、20まで生きられないと医者から言われたそうです。その方が、20歳で独立して、36歳の今を生きていらっしゃる。それどころか、事業を立ち上げていらっしゃる。
   この方は確実に私より命を削り魂を磨きながら生きています。すごいことをおっしゃっています。インタビュアーが、「障害者の皆様の代弁をしてください」と聞いたとき「(私には)たまたま言葉が自由に使える体を与えられましたからね。私はクリスチャンで、神様が与えてくださった能力はフルに使わなければ絶対にダメだと思っています。だから、言葉を与えられ、動かない体を与えられたということは、体が動かない人の代弁をしろということだと考えているのです。」と答えていらっしゃいます。
 以前、「バカにはなるまい」というあるお坊さんの講演録を紹介しました。身障者の方は、必死になって、与えられたものを使っています。私たちは、目も鼻も耳も口も手も足もふんだんに使うことができます。目が見えない方は、「美しいものを見たい、愛する人の顔を見たい」と考えます。目が見える私たちは、人のアラが見えます。耳が聞こえない方は、「愛する人の声が聞きたい。きれいな音楽が聞きたい」と考えます。耳が聞こえる私たちの耳には、人の悪口が聞こえます。口がきけない方は、「愛する人に、愛していると言いたい」と考えます。口がきける私たちの口からは「不平不満、愚痴、悪口、ため息」が出ます。手足が動かない人は、「一生に一度でいいから、自分の足で走ってみたい、自分の足でトイレに行ってみたい」と考えます。手足の自由がきく私たちは、すぐにさぼります。悪い習慣に手足を使います。
 自由だからこそ、そのありがたさがわからず、さぼります。バカになっています。

 なんで自分で決めたことができないんだろう? できないんじゃなくてやらないんだろう。これは明日に伸ばそうかなって考えるんだろう。くやしいな~。自分自身に。嘆いていてもしかたがない。やろうやろう。命を削りながら生きている人に笑われないように。この月間致知の記事を読んでいると、市江さんからメッセージが届いたように感じました。「あなた、何やってるの?」って。今日も朝早いけど、絶対ルーティン完成させます。期日目標も次々終わらせます。お酒飲んでもやります。眠眠打破飲みながらやろっと。

【昨日の私】
朝ごはん:おにぎりと野菜ジュースとお茶
昼ごはん:天丼とざるうどん
夜ごはん:牛網焼き定食

ある会社のSSを訪問しました。現場は楽しいな。

【今日の私】
Fさんの会社に行きます。一日中研修。夜会食。絶対に負けない(自分に)。でも、たくさん飲む。

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このページは、宝徳 健が2007年5月15日 00:22に書いたブログ記事です。

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