教育勅語解説

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   本日は、「恭倹、己レヲ持シ」です。
 恭とは、謹直にして、傲慢ならざることを言います。倹とは、節欲いして自己の行為を制約し、乱れない様をいいます。まさに、日本人の生き方。私達は、この生き方を習ってこなかった。だから、今の日本は乱れている。誰と言うことではなく、自分のつつしみを検証する必要があります。
   恭倹は、礼節の意味も含みます。品性の崇高なる人は、何事にもこの態度をもって、これに臨みます。したがって、周りの人は、その奥ゆかしさを感じ、尊敬の念を抱きます。「実るほど頭をたれる稲穂かな」という言葉はまさにぴったりです。
 この教育勅語を暗唱し、意味を感じるたびに、自分の至らなさを知ります。同時に、明治期の日本人のすごさを感じます。明治維新という世界史上、驚愕の革命を起こし、そして、短期間で先進国入りし、清国、ロシアという強大な国に勝利する。それも、極力戦争を避ける外交をとりながら。

 能力を高め、その分に応じて生きなさいという意味です。

 中国の古語に「己に倹して人に倹ならず、これを愛と謂う。己に倹して人に倹なる、これを倹と謂う。己に倹ならずして、人に倹なる、これを吝(りん:けち)と謂う。愛と倹は君の慮(できたひとの思慮)なり。吝は小人の事なり」とあります。

 自分の猛省とともに、なぜ、この素晴らしい理念が今、見直されないのかが不思議です。GHQの戦争犯罪プログラム、そして、共産主義の総本山、モスクワコミンテルンの策略にのった、日本人の総懺悔の姿なのでしょう。

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このページは、宝徳 健が2007年5月 1日 05:13に書いたブログ記事です。

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