本の言葉と自分の生き方を検証する

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   ひよこクラブ必読書、稲盛和夫氏の「生き方」。今日は、110p~。ちょっとグサっとくる内容です。自分を戒めないと。この本、とてもいいですね。朝の10分読書で何度も繰り返し読んでいますが、自分を見直す良い機会を与えてくれます。
 今回は、特に、「安易な方向へ流れようとする自分に打ち勝って」という表現。イタイイタイ。心が痛い。成功(お金という意味ではありません)している人は、みんな同じことを言う。わかるとできるのギャップを早くうめないと人生終わってしまいます。
 では、本文のみ掲載します。
   仕事がいやでしかたがないと感じても、もう少しがんばってみる。腹をくくって前向きに取り組んでみる。それが人生を大きく変えることにつながるのです。
 そのときに大切なことは「自分に打ち勝つ」ことだといえるでしょう。つまり、利己的な欲望を抑えること。自分を甘やかそうという心をいさめること。それができなければ何事も成し遂げることはできないし、もてる能力を最大限に発揮することもできません。
 たとえば、まじめによく勉強をして80点をとる人間がいる。それに対して、頭の回転や要領がよく、勉強しなくても60点をとる人間がいる。後者は前者に対して、「あいつはがり勉だから、できて当然だ。オレが本気さえ出せば、あいつ以上の点がとれる」というものです。
 こういう人は社会へ出てからも、努力を重ねて大成した人をとらえて「彼は学生時代はたいしたことがなかった。オレのほうば数段できがよかったんだ」と相手をくさしながら、自分の能力を誇ったりする。
 潜在的な力だけをとれば、そのとおりなのかもしれない。物事に取り組む姿勢、熱意に雲泥の差があり、それが「人生の方程式」に従って、彼我の人生を逆転させるという結果を招いているのです。

 がり勉とはみたい映画やテレビも見ず、安易な方向へ流れようとする自分に打ち勝って、困難に正面から取り組んでいる人のことです。社会で成功を収めた人も同様で、遊びたい気持ちを抑えて、仕事に励んだ結果であるにちがいありません。一方、そのような人たちを小ばかにする人間は結局、自分の「逃げ」や怠惰を棚に上げ、人が正面から取り組んだことを、斜めから眺めているにすぎない。
 人の真の能力とは、そうした物事に愚直に取り組む克己心まで含むのかもしれません。いくら能力があろうが、自分に負けて安逸に流れ、正面からの努力を惜しむのは、つまりは「自分のもって生まれた才を活かす」という意味での能力に欠けているといえるのです。
・・・・(中略)・・・・
 まじめ、ど真剣、懸命に仕事をする―こういってしまうと平凡に聞こえるかもしれません。しかし、平凡な言葉にこそ、人生の心理は隠されているのです。

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このページは、宝徳 健が2007年5月17日 01:13に書いたブログ記事です。

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