そして、その臨機応変を見抜き、情況に応じて、さまざまな戦略戦術を選択できる、将軍が必要です。知識や技能などの末学ではなく、人間学がしみこんだ真のエリートです。三軍は得やすく、一将は得がたしです。戦後の日本は、真の意味のエリートを育成してきませんでした。私たちの受けてきた教育はなんだったんでしょう。悔やまれます。
企業も「人」。いつの世も企業は「人」です。将を育成する企業内における「人間学」の教育。これが今後の企業力の優劣を決めるでしょう。目先の利益ばかりではありません。
武王(以下、武)「用兵の大要について聞きたい」
太公望(以下、太)「昔の戦巧者は、天の上で戦ったわけでもありませんし、地の下で戦ったわけでもありません。勝つか負けるかは、すべて有利な態勢をつくれるかどうかにかかってきます。それを心得ている者が栄え、知らない者は滅びるのです。
さて、その態勢ですが、次のことが指摘できます。
敵と対陣したとき、甲冑を脱いで武器を立てかけ、兵士に勝手な行動をさせるのは、党政がないとみせかけて敵を誘い出す策です。草や木が生い茂ったところに布陣するのは、逃走するのに都合が良いからです。渓谷や険阻な地に布陣するのは、洗車や騎馬の侵攻を防ぐためです。隘路や山林に布陣するのは、少数の兵力で大軍を迎え撃つ策です。水沢や窪地に布陣するのは、味方の軍勢から敵を隠すための策です。逆に、兵站で広々とした地形に布陣するのは、決戦を挑むための策にほかなりません。
矢のように素早く、弩を発するように息もつかせずに攻め立てるのは、敵の秘策を粉砕するためです。伏兵をおき、機動部隊を待機させたうえで、深く侵攻する構えを見せて敵を誘い込むのは、敵を破って、対象を擒(とりこ)にする策です。軍を分散させてまとまりのないように見せかけるのは、敵の円陣や方陣を破るための策です。驚き騒いでいる敵を撃つのは、一をもって十を破る策、疲れて野営している敵を撃つのは、十を持って百を破る策です。特別な器具を用意するのは、深い湖水や河を渡るためです。強弩や長槍(ちょうそう)は、河を渡って攻めてくる敵を迎え撃つためのものです。
敵陣に近い砦をあわただしく引き払ったり、敵領内深く放った物見をにわかに引き上げさせるのは、敵をおびき出してその隙に城邑を占拠する策です。太鼓を打ち鳴らしてにぎにぎしく進撃するのは、敵の注意をひきつけてその隙に奇襲を仕掛けるためです。暴風雨をついて攻撃を仕掛けるのは、不意を衝いて全軍を撃破し、後軍の大将を擒にするのが狙いです。敵の使者だといつわって相手の領内に潜入させるのは、ひそかに糧道を絶つための策です。号令も服装もわざと敵と同じものに変えるのは、敵の敗走に備えるためです。
戦に際して、大義名分を強調するのは、兵士の戦意を鼓舞するためです。高い爵位や重い恩賞を約束するのは、命令に従わせるためであり、刑罰を厳しくするのは兵士を奮い立たせるためです。また、時には喜んでみせたり怒ってみせたり、時には官位を与えたり奪ってみたり、やさしい態度を示したかと思うと、今度は威厳をもって臨んだり、統制を緩めたかと思うとこんどは引き締めたりするのは、いずれも全軍をまとめ、部下を統率するための方策にほかなりません。
さらに、高くて見晴らしの良い所に布陣するのは敵の動きに備えるためであり、険阻な地形に拠るのは守りを固めるのに便利だからです。山林の密生したところに布陣するのは、軍の移動を敵に察知されないためであり、堀を深くし塁を高くして食料をたっぷりと備蓄するのは、持久戦を考えてのことです。
こういうことですから、『戦略戦術を知らなかったら、敵について語る資格はない。兵士を思い通りに動かせなかったら、奇策について語る資格はない。治乱の道理をしらなかったら、権変について語る資格はない』と言われるのです。
また『将軍に思いやりが欠けていたのでは全軍の将兵から親しまれない。将軍に勇気が欠けていたのでは、部下も勇敢に戦わない。将軍に智略が欠けていたのでは、全軍が疑い惑う。将軍に洞察力が欠けていたのでは、作戦も失敗する。将軍に細心さがかけていたのでは、好機を失う。将軍に慎重さが欠けていたのでは、守りも乱れる。将軍に強い統率力が欠けていたのでは、将兵が職責を果たさなくなる』とも言われます。
将軍には、まさに全軍に安危がかかっています。将軍に人を得るかどうかで、全軍がまとまりもするし、乱れもするのです。ですから、賢将を得れば軍も強くなり国も栄えますが、賢将を得なければ、軍も弱くなり国も滅びるのです」
武「などほど、よくわかった」
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