昨年秋口に、鍵山秀三郎氏の著書に出会いました。このことが書かれていました。年末、会社の忘年会に有馬温泉に行った時のことです。これからは、公共の場に行ったら、履物を揃えようと誓っていました。いまでもやっていますが。温泉で、食事をしに、大広間に行きました。仲居さんが、なおしたところは、ちゃんと揃っていますが、次々とお客さんが来ますので、全部は揃っていません。私が揃え始めました。仲居さんも、お客さんも「こいつアホちゃうか」というような目で見ていました。むちゃくちゃ恥ずかしい。次に風呂に行きました。大浴場のスリッパも脱ぎ散らかしています。揃え始めました。入浴が終わって涼んでいた何人かのおっちゃんが「こいつアホちゃうか」という目で見ていました。むちゃくちゃはずかしかった。お風呂からあがりました。また、スリッパがぐちゃぐちゃです・・・・・・・・。同じような状況でした。なんだかわかりませんが、今も続いています。めったに帰りませんが、家でも、履物を揃えています。子供がやるようになりました。
鍵山秀三郎さんが「豊かな暮らしとはていねいに生きることだ」とおっしゃっていました。小学とはこのようなことなのかもしれませんね。
また、非常に興味深いことも数々紹介されています。
習慣の中には、応対もあります。「応」とは「応ずる」で、呼ばれたら「はい」と返事をすることが「応」だそうです。会議でよく「これでよろしいでしょうか?」と呼ばれているのに「シーン」としているのは、「応じて」いないのですね。
その応対で大切なのが「禮」です。今の「礼」。「禮」は、元来神様に対するところから起こったそうです。「ネ」は、「示す」ということです。神に示す。だから、「社」には「ネ」がついています。
そして「禮」には、「敬」「謝」「謙」「譲」「和」という精神があります。敬:慎む、体と心を引き締める。謝:感謝の気持ちを持つ。謙・譲:お互いに譲り合う。和:お互いに支えあうです。
この5つの言葉を心のうちに秘めながら、頭を下げるのが禮です。今日から、そうしよっと。
さらに、禮の中で、私たちが最も行っているものが挨拶です。挨拶で大切な三つとは、
「時の宜しきを得る」:挨拶をする前とした後に相手の目を見る
「言葉の宜しきを得る」:その時々にふさわしい言葉で挨拶をする
「事の宜しきを得る」:挨拶の内容が道理にかなっていることだそうです。無茶な言葉を使わない。
応対・禮・挨拶・・・大切にしていきます。
【本の文章の紹介】
※掃除の大切さ
そこで、習慣の具体的なものとしてニ、三考えてみたいと思います。
「小学」という書物の中に挙げられている習慣に「灑掃・洒掃(さいそう)」とうのがあります。サンズイがついていることからわかるおうに、水を注いだり雑巾で拭いたりすることを「灑・洒(さい)」といいます。「掃」はいうまでもなく「掃く」ということでありますから、「灑掃・洒掃」とは我々が使っている「掃除のことであるといっていいのであります。つまり、掃除の習慣をつけるということ、これが「小学」の習慣における非常に重要項目であるということです。
(中略)掃除をすることによって、段々人間を高い神の境地に近づけていく。掃除はこういう効用を持っておるんです。
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