知覧(6月8日の日誌)

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   昨日のルーティンは完結。出張や行事があると、完結させるのがすごくしんどい。でも、朝とか夜の時間帯をうまく使えば可能。要は自分に甘えないこと、負けないこと。握手は、21回。累計2410回。
 昨日は、午後から講演会だったので、午前中、知覧に行ってきました。知覧特攻平和記念館と、特攻の母、鳥浜トメさんの食堂あとの「ホタル館」に行きました。鹿児島から車で一時間弱。途中H2ロケットの展示してある公園もありました。有名な鹿児島ラ・サール高校も。
   知覧について特攻平和記念館に行きました。展示物をみた瞬間、涙がとまらなくなりました。二十歳前後の人たちが、懸命に生き死にを考えている。死を目の前にした、生きることのすごさを見せてくれている。たまりません。どの人の顔も、輝いています。今の私たち日本人にはない輝きです。笑っている。なぜ笑えるのか? みんなとてもいい顔です。17歳の人もいました。 大人の顔です。そして、いろいろな人に宛てた手紙。 なぜ、こんなに教養があるのだろうか? しっかりとした手紙の書き方は、今の日本人からなくなってしまったもの。 和歌を書いている人がたくさん。 これも今の日本人からは・・・。 戦前の教育は「教養」を高めるものだったようです。 戦後の教育は「知識」。 人間がつまらなくなっています。 ドイツは、戦争に負けたとき、アメリカ式の教育を拒否しました。日本は入れてしまいました。たかだか二百年足らずの国の教育を入れてしまったのです。
 精一杯生きた人たち。この人たちがいたから今の日本があります。もう一度、日本人が日本人たる生き方を見つけ、正しい歴史を学び、そして、真の独立国へと歩みださなければ、この方々に申し訳が立ちません。今のような日本をつくるために、この方々は亡くなっていったのではありません。英霊に合掌。

 次に、ホタル館。ここでも、涙がとまりません。何の力もないただ一人の人間が、ここまで他人のために生きることができるのだろうか? 私ごときが考え方を述べるなど僭越です。

 知覧は、私の人生に何かを提示してくれました。生きます。

 帰るなき機をあやつりて征(ゆ)きしはや 開聞よ母よさらばさらばと
※開聞:開聞岳のことです。特攻機は出撃のあと、開聞岳に翼を振って別れを告げました。

【昨日の私】
朝ごはん:食べなかった
昼ごはん:鹿児島県経済連さんに準備していただいたお弁当
夜ごはん:IWさんのお店でみんなでおいしいものをつまみながら会食

 鹿児島県経済連さんにはとてもよくしていただきました。とても楽しい講演会でした。
 夜はIWさんのお店で、スタッフのみんなとごはん。おいしかった~。楽しかった~。

【今日の私】
 一日岐阜事務所です。

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このページは、宝徳 健が2007年6月 9日 07:23に書いたブログ記事です。

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