月間致知はほんとうにすばらしい。巻頭言もすごい。今月も紹介しておきます。テーマは「機を活かす」。後半部分を書き写します。
「幾を知るはそれ神(しん)か」と『易経』は言う。「幾」は「機」である。ものごとのきざしを見ていち早く事件が起こるのを察知するのは、神というべきだろうか、というのである。また、「幾を見て作(た)ち、日を終うるを俟(ま)たず」-機を知ったらすぐに実行せよ、とも教える。
それでは、機を活かすにはどうすればいいのだろうか。その要件を四つにまとめることができるのではないかと思う。
まずは「至誠」である。誠心誠意取り組むことである。至誠天に通ずというが、至誠は神のような働きをする。古来、真剣に生きた人の一様に説くところである。
次に「敏」である。ピンとくる。そのためには前向きの緊張感を持ち続けることである。安岡正篤師の言葉がある。「自分の人生を美しくするために、仕事のために、友人のために、世の中のために、できるだけ気をつけよう、役に立とう、まめにつくそうと心身を働かすことが敏の本義である。ひらてくいえば、いつも怠りをしないでいつもきびきびしている。その代わり世間のくだらんことにはずいぶんと怠けてよろしい」
それでは、機を活かすにはどうすればいいのだろうか。その要件を四つにまとめることができるのではないかと思う。
まずは「至誠」である。誠心誠意取り組むことである。至誠天に通ずというが、至誠は神のような働きをする。古来、真剣に生きた人の一様に説くところである。
次に「敏」である。ピンとくる。そのためには前向きの緊張感を持ち続けることである。安岡正篤師の言葉がある。「自分の人生を美しくするために、仕事のために、友人のために、世の中のために、できるだけ気をつけよう、役に立とう、まめにつくそうと心身を働かすことが敏の本義である。ひらてくいえば、いつも怠りをしないでいつもきびきびしている。その代わり世間のくだらんことにはずいぶんと怠けてよろしい」
第三は「徹」。徹することである。意外にこれができない。「書経」にも、「恤(うれ)いを知るものは鮮(すくな)いかな」-人にはそれぞれ重大な任務があるが、その任務に心を砕いている人は昔から多くはない、と言っている。ほとんどの人が中途半端で終わる。だが、徹する人のみが至りうる境地がある。
最後は「勇」。積極一貫。躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)する者に機は活かせない。
いかに機を活かすか-各界各様の人生に学びたい。
【所感】
う~ん、私はまだまだだ。
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