どの解説よりもわかりやすい大祓詞

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   私は、宗像大社にて1週間修行をしたことがあります。毎朝4時に起きて、冷たい水で身を清め、それから、掃除をしたあとに、神棚の前で奉献・拝礼の儀をと り行います。とても神聖ですがすがしい気分になります。その儀の際に、必ず読まれるのが大祓詞(おほはらへのことば:おおはらえのことば)です。家を建て るときの神事などに、神主さんがモゴモゴ唱えているあの言葉です(神主さんごめんなさい)。
 これは、決して教義経典というものではありません。もともと、神道は宗教ではありません。日本人の生き方そのものなのです。宗教ではない証拠に、教義経典がありません。死んだらみんなが祀られるのです。
 ですから、靖国神社に首相が参ることが政教一致になるなどという、マスコミの不勉強さにのせられてはいけません。では、公明党はどうなるのかな???(公明党をどうのといっているのではありません。あくまでも、ロジックとして)。
   今、教育勅語を暗唱していますが、終わったら、この大祓詞を暗唱します。日本の国がいかにして成 り立ったか。そして、何をすればみんな仲良く国家安泰となるか。それが示されています。神社のホームページなどを見ると、身が清められ、穢れがなくなると なっているケースが多いのですが、日本の文化はもともと、自らのことよりも全体と一体化するといった「大人の文化」を目指しているところがあります。です から、自分の身だけが清められることは意味していません。

 今回は、全体文。読まなくて結構ですから、ながめてください。次回から少しずつ解説していきます。

大 祓 詞

高天原(たかまがはら)に神(かむ)留(づま)り坐(ま)す 皇親神漏岐(すめらがむつかむろぎ) 神漏美(かむろみ)の命以(みことも)ちて 八百萬神等(やほよろづのかみたち)を神集(かむつど)へに集(つど)へ賜(たま)ひ 神議(かむはか)りに議(はか)り賜(たま)ひて 我(あ)が皇御孫命(すめみまのみこと)は 豊葦原水穂國(とよあしはらのみづほのくに)を 安國(やすくに)と平(たひら)けく知(し)ろし食(め)せと 事依(ことよ)さし奉(まつ)りき 此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし國中(くぬち)に 荒(あら)振(ぶ)る神(かみ)等(たち)をば 神問(かむと)はしに問(と)はし賜(たま)ひ 神掃(かむはら)ひに掃(はら)ひ賜(たま)ひて 語問(ことと)ひし磐(いわ) 根(ね)樹根立(きねたち) 草(くさ)の片葉(かきは)をも事止(ことや)めて 天(あめ)の磐座放(いわくらはな)ち 天(あめ)の八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわ)きに千別(ちわ)きて 天降(あまくだ)し依(よ)さし奉(まつ)りき 此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の國中(くになか)と大倭日高見(おほやまとひだかみ)國(のくに)を安國(やすくに)と定(さだ)め 奉(まつ)りて 下(した)つ磐(いは)根(ね)に宮柱太敷(みやばしらふとし)き立(た)て 高天原(たかまのはら)に千木高知(ちぎたかし)りて 皇御孫命(すめみまのみこと)の瑞(みづ)の御殿仕(みあらかつか)へ奉(まつ)りて 天(あめ)の 御(みか)蔭(かげ)日(ひ)の御蔭(みかげ)と隠(かく)り坐(ま)して 安國(やすくに)と平(たひら)けく知(し)ろし食(め)さむ國(くぬ)中(ち)に成(な)り出(いで)む天(あめ)の益人等(ますひとら)が 過(あやま)ち犯(おか)しけむ種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)は天(あま)つ 罪(つみ)國(くに)つ 罪(つみ)許許太久(ここだく)の罪出(つみい)でむ 此(か)く出(い)でば 天(あま )つ宮(みや)事(ごと)以(も)ちて天(あま)つ金(かな)木(ぎ)を本打(もとう)ち切(き)り 末打(すえう)ち断(た)ちて 千座(ちくら)の置座(おきくら)に置(お)き足(た)らはして天(あま)つ菅(すが)麻(そ)を本刈(もとか)り断(た)ち 末刈(すえか)り切(き)りて 八針(やはり)に取り辟きて 天(あま)つ祝(のり)詞(と)の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ
此(か)く宣(の)らば 天(あま)つ神(かみ)は天(あめ)の磐門を押し披きて 天(あめ)の八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわ)きに千別(ちわ)きて 聞(き)こし食(め)さむ 國(くに)つ神(かみ)は高山(たかやま)の末(すえ) 低(ひき)山(やま)の末(すえ)に上り坐(ま)して 高山(たかやま)の伊(い) 褒(ほ)理(り)低(ひき)山(やま)の伊褒理(いほり)を掻(か)き別(わ)けて聞(き)こし食(め)さむ 此(か)く聞(き)こし食(め)してば 罪(つみ)と云(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと 科戸(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹(ふ)き放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く 朝(あした)の 御(み)霧(ぎり)夕(ゆうべ)の御霧(みぎり)を 朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹(ふ)き掃(はら)ふ事(こと)の如(ごと)く 大津辺(おほつべ)に居(お)る大船(おほふね)を 舳解(へと)き放(はな)ち 艪解(ともと)き放(はな)ちて 大海原(おほうなばら)に押(お)し放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く 彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本(もと)を 焼鎌(やきがま)の敏(と)鎌(がま)以(も)ちて 打(う)ち掃(はら)ふ事(こと)の如(ごと)く遺(のこ)る罪(つみ)は在(あ)らじと 祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ事(こと)を 高山(たかやま)の末(すえ) 低(ひき)山(やま)の末(すえ)より 佐久那太理(さくなだり)に落(お)ち多岐(たぎ)つ 速川(はやかわ)の瀬(せ)に坐(ま)す瀬織津比賣(せおりつひめ)と云(い)ふ神(かみ)大(おほ)海(うな)原(ばら)に持出(もちい)でなむ 此(か)く持(も)ち出(い)で往(い)なば 荒潮(あらしほ)の潮(しほ)の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の潮(しほ)の八百曾(やほあひ)に坐(ま)す速開都比賣(はやあきつひめ)と言 (い)ふ神持(かみも)ち加加呑(かかの)みてむ此(か)く加加呑(かかの)みてば息吹戸(いぶきど)に坐(ま)す息吹戸主(いぶきどぬし)と云(い)ふ 神(かみ)根(ねの)國(くに)底(そこの)國(くに)に息吹放(いぶきはな)ちてむ 此(か)く息吹放(いぶきはな)ちてば 根(ねの) 國(くに)底(そこの)國(くに)に坐(ま)す速佐須良比賣(はやさすらひめ)と云(い)ふ 神(かみ)持(も)ち佐(さ)須(す)良(ら)ひ失(うしな)ひてむ 此(か)く佐(さ)須(す)良(ら)ひ失(うしな)ひてば 罪(つみ)と云(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと 祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ事(こと)を 天(あま)つ神(かみ)國(くに)つ神(かみ)八百萬(やほよろずの)神等共(かみたちとも)に 聞(き)こし食(め)せと白(まを)す

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このページは、宝徳 健が2007年6月 6日 05:19に書いたブログ記事です。

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