本の言葉と自分の生き方を検証する

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   稲盛和夫氏の「生き方」。今回は、番外編です。前回お約束したように、欲に関するお釈迦様の面白い話です。お釈迦様は、よくにからめとられやすい人間の実相について、以下のお話をされています。
   要点は、せっぱつまった危機的な情況でも、人間は甘い汁をなめずにはいられない。どうしようもない性(さが)だということです。虎は、死や病気、松の木は、この世での地位や財産や名誉を表し、ねずみは昼と夜、すなわち時間の経過を表しています。絶えず、死の恐怖に脅かされ、追われながらも、生にすがろうとする。しかし、それは一本の藤づるほどの頼りないものでしかない。
 そのつるも、時間と共に摩滅していき、わたし達は年年歳歳、逃げてきたはずの死に近づいていくのですが、それでも自分の寿命、清明を縮めてでも「蜜」を欲しがる。

 そして、赤い竜が「怒り」、黒い竜が「欲望」、青い竜が「妬み、そねみ、恨みといった愚痴」で、この三つを仏教では「三毒」といいます。お釈迦様がいわく、それこそが人生をだめにする要素だそうです。
 では、お釈迦様のお話を・・・。

 秋も深まったある日、木枯らしの吹く寒々とした景色の中を旅人が家路を急いでいます。ふと見ると、足もとに白いものがいっぱい落ちている。それは人間の骨です。なぜ、こんなところに人の骨が・・・と気味悪く、不思議に思いながら先へ進んでいくと、向こうから一頭の大きな虎が吼えながら迫ってきます。
 旅人はびっくり仰天し、なるほど、この骨はあの虎に食われた哀れな連中の成れの果てかと思いながら、急いできびすを返して、今来た道を一目散に逃げていきます。しかし、どう道を迷ったものか断崖絶壁につき当たってしまう。がけ下は怒涛逆巻く海。後ろからは虎。進退窮まって、旅人はがけっぷちに一本だけ生えていた松の木によじのぼります。しかし、虎もまた恐ろしく大きな爪をたてて松の木を登りはじめている。

 今度こそ終わりかと観念しかけましたが、目の前の枝から一本の藤づるが下がっているのを見つけ、旅人は藤づるをつたって下へ降りていきました。しかし、つるは途中で途切れており、旅人は宙ぶらりんの状態になってしまいます。
 上方では虎が舌なめずりをしながらにらんでいる。しかも下をよく見ると、荒れ狂う海には、赤、黒、青の三匹の竜が、いまにも落ちてきそうな人間を食べてやろうと待ち構えています。

 さらいには上のほうからガリガリと音がするので、目を上げると、藤づるの根もとを白と黒のねずみが交互にかじっている。
 そのままでは、つるはねずみの歯に噛み切られて、旅人は口を開けている竜めがけてまっさかさまに落下するしかほかありません。まさに八方ふさがりの中で、旅人は、何とかねずみを追い払うべく、つるをゆすってみました。すると。何か生ぬるいものが頬に落ちてくるではありませんか。なめてみると甘くておいしい蜂蜜です。つるの根もと方に蜂の巣があり、揺さぶるたびに蜜が滴り落ちてくるのです。

 旅人は、その寒露のような蜜の味のとりこになってしまいました。それで、今時分が置かれている絶体絶命の情況も忘れて、何度も何度もその命綱を自ら揺すっては、うっとりと甘い蜜を味わうことを繰り返したのです。

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このページは、宝徳 健が2007年6月21日 05:14に書いたブログ記事です。

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