子供の頃、七夕というとなんかワクワクしたな~。今は、星なんて見えやしない。子供の頃の日本は、もっと平和で、自然にあふれて情緒がありました。何よ り、大人がもっとしっかりしていた。貧しかったけど、幸せ感は、あの頃の方があったような。私たち大人がもう少しちゃんと生きないと。
七夕のことって、うちの子供知ってるかなあ?話ししてみよっと。
というところで、去年のブログ見返したら、博多弁で七夕を説明していました。おもしろ。もう一度書きますね。昔の人ってすごい。星を見るだけで、こんな話をつくってしまう。私たちデジタル現代人がなくしてしまった能力です。
むかしむかし、天帝という神様が星空を支配しとったげな。そのころくさ、天の川の西の岸に、織女(しょくじょ)という天帝の娘が住んどったった い。織女は、機織(はたおり)がほんなごつ上手でくさ、彼女の織った布は雲錦って呼ばれとったとたい。色もきれいでくさ、丈夫やし着心地もよかったけん、 みんなに人気があったったい。すごか~。
それでくさ、もう一方の東の岸にはくさ、牛飼いの青年、牽牛(けんぎゅう)が住んどったったい。牽牛は、毎日、天の川で牛を洗って、おいしい草を牛に食べさせよったとよ。よ~う牛の面倒ば見る働き者のよか青年やったったい。
天帝はくさ、毎日働いてばかりいる娘ば心配しよんしゃったと。はよ、婿さんば見つけて嫁にやらなと、あせりよったったい。そやけんくさ、川の向こうに住んじょる、牽牛をひきあわせようとしよんしゃった。
天帝「おまえたちふたりは、よう働くけん、結婚しやい。牽牛、うちの娘がもろうちゃりやい」
牽牛「そげんこつ、夢のような話があってよかとやろうか。すいまっしぇ~ん。ありがとうございます」と言って織女をもらい、ふたりはめでたく夫婦になったと。
ところがくさ、夫婦になったとたん、仲のよすぎて、朝から晩までいちゃいちゃして働かんくなったげな。天帝は、怒ってくさ
「なんばしよっとね! 仕事ばせんね! 働かんね!」 と叱ったばってん、ふたりは「わかっとっちゃ、明日からやるっちゃ」と答えるばかりで、いっちょん働かんったい。
織女が布を織らんくなったけんくさ、機織機はホコリのすごかとたい。天界には新しい布がのうなってしもうたと。牛もくさ、牽牛が面倒みんもんやけん、やせて倒れてしもうたったい。
天帝は、怒ってしもうて、ふたりを離してしもうたと。ばってん、離してずっと会えんかったらかわいそうやけん、一年に一度、7月7日の日だけ天の川をわたって会うことを許しんしゃったったい。よか話しばい。
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