なるようになる(7月7日の日誌)

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  昨日のルーティンは完結。気持ち良い。ホテルとか電車の中とかの過ごし方が去年と比べて格段に進歩しています。去年と比較してはいけないけど、そういう自分が嬉しい。握手は、15回。累計2950回。
 月間致知8月号94Pにとても良い記事がありました。紹介しておきます。一休さんは、みなさんご存知ですよね?
 本文引用

「一休和尚が臨終の時、「仏教が滅びるか大徳寺が潰れるかというような一大事が生じたら、この箱を開けなさい」と遺言を述べて一つの箱を弟子に手渡しました。
 それから長い歳月が経過し、その大徳寺の存続に関わる重大な問題が起きました。にっちもさっちも行かなくなった時、和尚の遺言を思い出し、寺僧全員が集 まって、厳かに箱を開けることにしました。中に入っていたのは一枚の紙でした。そこに書かれてあったのが、「なるようになる。心配するな」という一文だっ た、というのです。
 (中略)
 この遺言は様々な意味に解されていますが、私は「どうせ、なるようにしかならない」というような生き方を説いたものではないと解釈しています。難しい問 題をどうにかするためには、手をこまねいているだけでは先に進めない。今、目の前にあることを一つひとつきちんとやっていくことで、自ずと解決すべき糸口 が見えてくる。そういう意味に理解するのがよいのではないだろうか。
 ところが、事業がうまくいかなかったり、官庁や会社勤めで人事に不満があったりすると、「あのときに、ああしておけばよかったのではないか」と、過ぎ 去ったことを思い出して悔やんでみたり、来るか来ないか分からない先のことを思い煩って占いに凝ってみたり、訳の分からない神信心をしてみたり、なかなか 目の前のことに力を注ぐことができません。「心配するな」という言葉は、余計な取り越し苦労で心が消極的になることを戒めた言葉であり、表現は簡単でも奥 の深い人生の生き方を示した、まさに至言だと思うのです」

 う~ん。確かに。追い詰められているときって、今、すべきことよりも、「どうしよう」とか「あのときああじゃなかったら」とか考えてしまいます。 一つひとつの仕事をどんなときにもきちんと対処していくことがいかに大切かがわかります。宇佐美の親父の言葉を思い出します。「宝徳、良いときも悪いとき も、いつも同じようにやれ」。

【昨日の私】
朝ごはん:三島駅で買った桜海老おにぎりすけろく寿司
昼ごはん:Fさんと中華
夜ごはん:ある会社の社長さんと炉辺焼き

 5時55分の土肥発のバスで修善寺へ。修善寺から三島。三島から名古屋・岐阜と帰って。Fさんのところに行きました。その後、岐阜のある会社へ。新しい会社設立の相談と今後の展開について。
 昨日はWさんの一つのお店の7周年。おめでとうございます。

【今日の私】
 岐阜事務所です。とにかく仕事。どんどん進めます。

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このページは、宝徳 健が2007年7月 8日 06:33に書いたブログ記事です。

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