どの本よりわかりやすい古事記(人代)

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  ごめんなさい。このシリーズ10月から書いていませんでした。すみません。実は、日本書紀を読んでいたのです。すると古事記とかなり違う記述があるので、私自身とまどっていました。でも、タイトルが古事記なので、古事記にしたがって書いていきます。
 いよいよオウス(日本武尊)が熊襲征伐に行きます。
 オシロワケ(景行天皇)は、オウスに命じます。
「西の方にクマソタケルと呼ぶ兄弟が住んでいう。私たちに従わない奴らだ。討ち取って来い」と。

 オウスは自分の力を試すチャンスと思いました。実際力をもてあましていたのです。行く前に敬愛する叔母「ヤマトヒメ」のところに寄り、お守りに叔母がいつも身につけていた服をもらっていきます。

 さあ、出発です。

 熊襲についてみると、宴会の最中でした。そこでオウスは、ヤマトヒメからもらった服で女装しながら隙をうかがいました。宴会に加わる女たちに紛れ 込みました。するとクマソタケルの兄の方が、美しい女だと、オウスを引き寄せたのです。そして頃合を見計らって、オウスは兄の方に短剣をグサっと刺しまし た。兄は死んでしまいました。

 それを見た弟は驚いて逃げました。オウスは追いかけて、弟の尻から剣を串刺しにしました。串刺しにされた弟は、

弟「剣をしばらく抜かないでくれ。伝えたいことがある」
弟「いったい君は誰だ?」
オウスは説明します。
弟「そうであろうな。西の方では、私たち二人に逆らうものはいない。東には俺たちよりも強い男がいた。私たちの名前をもらってくれないか。ヤマトタケルの御子と名乗ってくれないか」

 オウスはその言葉を聞き終わると、クマソタケルの身体を切り刻みました。

 そして、そのときから名前をヤマトタケルとしたのでした。

 古事記では、ヤマトタケルはすごく野蛮人に描かれています。それが日本書紀等他の古代史とちょっと違います。

 さてさて、日本武尊は、クマソ征伐の後、出雲に向かいます。次回は、そこから。お楽しみに~。

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このページは、宝徳 健が2008年1月12日 10:32に書いたブログ記事です。

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