このシリーズは左下のカテゴリー「和歌」に格納されています。
源実朝の歌を紹介しています。
保元、平治の欄から実朝の死まで、源氏の血統は流血の悲劇に彩られています。保元の乱で敗れた為義は、子の義朝によって殺されました。その義朝 は、平治の乱で破れ平清盛のために殺されました。義朝の子頼朝は、武家政権を確立して行く中で、肉親の弟である、範頼、義経を次々に殺しました。頼朝の後 を継いだ頼家が正式に将軍職についたのは、わずか一年余りで、北条時政のために殺されました。公暁は頼家の子であり、叔父実朝に対する根深い恨みをもって いました。公考えると、為義からたどって、その命を全うしたのは、頼朝一人だけです。
このすさまじい修羅場の中で、実朝の歌が育ちました。今日も実朝の歌をひとつ。
「庭の萩わづかに残れるを月さしいでて後に見るに散りわたるにや花の見えざりしか ばよめる」
萩の花 くれぐれまでも ありつるが 月出てみるに なきがはかなき
「くれぐれ」とは、日暮れの間際の意味です。夕ぐれにはたしかにわずかだが残っていた萩の花。それが、つきが出るほんの短い時間にすっかり散ってし
まっていた、なんとはなかいことだろう。
「はかない」という「もののあはれ」「無常感」がみごとですね。「はかなき」までの実写が最後の「はかなき」という詠嘆に一気に浮きだってきています。 すごいな~。人間というのは、安穏とした中では感性は磨かれないのですね。とすれば、今の私の状況なんか、自分が苦しいと思っているだけなのですね。自ら をより厳しい環境に置ける人間になります。
「はかない」という「もののあはれ」「無常感」がみごとですね。「はかなき」までの実写が最後の「はかなき」という詠嘆に一気に浮きだってきています。 すごいな~。人間というのは、安穏とした中では感性は磨かれないのですね。とすれば、今の私の状況なんか、自分が苦しいと思っているだけなのですね。自ら をより厳しい環境に置ける人間になります。
実朝の後で和歌を詠むのは、とてもはずかしい。でも、一首。
きょうだいで ひとつずつある 柏餅 粽を食べて 顔を見合す
子供の頃貧しかった我が家は、こどもの日でも、柏餅と粽は、ひとりひとつずつ。これでも、私たちからすれば、すごいぜいたくでした。食べて無言で 顔を見合わせます。それぞれの顔に「おいしいね」と書いてあります。貧しかったけど、両親は一度も惨めな思いを私たちにさせませんでした。さざえさんや、 ちびまるこちゃんや、三丁目の夕日のような日本は、経済が発展した今よりも幸せでした。
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