心構え試験 中級 論語編

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 ひよこクラブのみんなで暗唱している「心構え試験 中級 論語編」です。古典の言葉を知らないと、生きていてずいぶん損をすることがあります。 もっと若い頃から自分を鍛えればよかった。取り戻します。

29. 子曰わく、参(さん)や、吾が道、一(いつ)以て之を貫く。曾子曰わく、唯(い)と。子出ず。門人問いて曰わく、何の謂いぞや。曾子曰わく、夫子(ふう し)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。

 孔子が曾子に言った。私の生き方は一つのもので貫かれている。曾子は「はい」と答えた。孔子が出て行ったあと、門人達が曾子に聞いた。「何が言い たかったのですか?」と。曾子が答えた。「先生が貫かれている生き方は、人を尊ぶこころからの思いやり、それに尽きると。

 「一以て之を貫く」は有名な一文ですね。「忠恕」の字は「中と心」「如と心」で成り立っています。「中心」とは、まごころのことです。「如心」と は、自分の心の如く人の心をおしはかるという意味です。つまり、「人を尊び、まごころから思いやる」ことです。「仁」の心そのものです。
 孔子と曾子の阿吽(あうん)の呼吸も見事です。私たちの場合は、あわんの呼吸が多いですよね。

30. 子曰わく、賢を見ては、斉(ひとし)からんことを思い。不賢(ふけん)を見ては、内に自ら省みる。

 優れた人を見たら、自分も同じようになろうと思い、つまらない人を見たら、自分も同じところがないか省みて改める。

 「賢」とは、必ずしも「かしこい」ことをいうだけではなく、才も徳も備わった人です。大学でいう、玄徳と明徳ですね。立派な人です。「不賢」とは 「仁徳」のない人のことです。たとえ才能があったとしても、人を思いやる「仁」の心がなければ、賢者とはいえません。
 才能だけがあり、仁徳がない人を、関西弁で「けったくそわるい」人といいます。
 ここでは、すべてが師ということです。不賢の人も反面教師にしましょう。

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このページは、宝徳 健が2009年5月11日 00:12に書いたブログ記事です。

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