今回は、森君です。さあ、いよいよ、福岡高校テニス部最大行事です。全員による、福岡高校―大宰府ランニング。往復約40キロ弱です。これに参加
しない人はテニス部員ではありません。確か自転車二台で1年生がかわりばんんこ、伴走します。2年は自転車には乗りません。今だったら、学校とか親が「そ
んなことはするな。事故でもあったらどうするんだ」と反対するでしょうね。子供を弱くする世の中になりました。
ずっと受け継がれてきた伝統ですが、今もやっているのだろうか? やっていたとしたら、誇りに思います。
昭和21年12月19日 日曜日 晴れ(空しい青さだった) 森
ただひたすらはしった(大宰府―福高間往復)
欠席者 なし(近来まれにみる快事!! ほんとうはみんな休みたかったのだが)
ボールの数 安河内信二が悪い!!
感想
前日の安河内が奇妙な、実に奇妙な、しかも中学2年生程度のやさしい英語をつかい、それでもなお、三組の成績の急上昇に反比例して下降してゆく自分の学
力、知脳、顔形(は前からだが)を表すように数ヶ所、ほうぼう、全体にわたってまちがえていますので、私はこれこそ日本男児といわれるような格調高い日本
語を使います。
今日は、僕がテニス部にはいってから、うわさにきき、その影におびえ、それでもなお、ある期待をいだいていた日なのです。そう、それこそテニス部 主催唯一テニス部員無招待選手福高大宰府間自転車伴走福高大宰府間大ランニング大会なのであります。あります、は変です。ありました、なのです。走ってい る時のことをいうのはよしましょう。安河内がいくつヒワイな事をいったか、真城が何度泣き言をいったか、などをならべてももう終わったことです。そう、も う終わったのです。三文小説家はここでよく"終わりがはじまりだ"などといいますが、もうおわったことです(こうでもいわなければ宝徳さんがまたエキサイ トしてはたまりません)。
ランニングのことはもうやめましょう。みなさんにとってもあまり楽しい記憶としてのこっていないでしょうから。17日は僕のたん生日でした。僕が
それを友につげると、その友は「おまえにもたん生日あったんか」といいました。この時の僕の心のゆらぎはわかってくれると思います。そして一言、男クラに
はいったら、みんなこういいましょう。
"瞬間、オトコの匂い"
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