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中国の大歴史家 司馬遷が「史記」を書くにあたって参考にしたのが「戦国策」です。戦国策の原作者は明らかではありません。おそらく、当時の口 承、記録がバラバラと存在していました。これを、現在の形になおして「戦国策」と命名したのが、前漢末の劉向(りゅうきょう)という人です。
昨日から「誘いに乗る女は妻にはできぬ」です。
陳軫が楚に行くのに、恵王や張儀からあらぬ疑いをかけられて、あやうく殺されそうになります。そ
のピンチを、絶妙な言い方で逃れます。陳軫のたとえ話です。
陳軫は、自分を操の堅い年上の女に見立てたのですね。
「ひとつ、たとえ話で申しましょう。楚の国に妻を二人持っている男がおりました。あ る男が、その二人の妻を誘惑すると、年上の妻はにべもなくはねつけましたが、若い方は誘いに乗ってきました。やがて、二人の妻を持っている亭主が死にまし た。誘いをかけた男に、ある人が「どうかね、女房にもらったら?年上の方がいいか? それとも若い方?」とたずねると、「年上」と答えました。
「それはまたどうして?年上の方はおまえをふったではないか。色よい返事をしたのは、若い方だろうが」
「他人の持ち物なら色よい返事でききたいが、自分の女房ともなれば操を守ってもらいたいからな」
さて、楚王は名君の誉れ高く、宰相の昭陽もすぐれた人物です。秦に仕える私が、秦の情報をもらせば、楚王はかえってわたくしを信用しますまい。昭 陽も強力をこばむはずです。いかがですか? まだわたしをお疑いですか?」
陳軫は、自分を操の堅い年上の女に見立てたのですね。
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