福岡高校テニス部日誌

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 いよいよ昭和52年です。インターハイ出場の年です。今回は、野又くんです。みんな振り回しはよほどきらいだったみたいですね。野村先輩 も・・・。

昭和52年1月7日(金)  晴れ  野又

ボールの数   ストロークボール  16こ
          クソボール      52こ
          ニューカン      2かん

練習内容
1.かる~いボレー(2年)(コートが少しぬれていたため)
2.ストローク(1年)
3.試合(1年)
わて6vs1藤   安河内A6vs4テラだ
真城3vs6安河内B
4.ペアボレー(2年)
5.スマッシュ(1年)

欠席者
2年 埜田さん、前田さん
1年 浅川

早引け  小山

感想
 この前に引きつづいて試合をとりおこないました。前半日は、1-4で藤に負けておりました。はい、今日はひとつばんかいしちゃろうと思おてガンバラな かったらやはりまけた。しかし、そんなこともうい~んダ。へん(負けおしみ)
 今日のトピックスとして重大なことがありました。ナッナッナッナント最初ブリマワシがある予定が主マッシュにかわったのです。その瞬間、邪悪な先輩の頭 の後方から後光がピカッ、マブシ~イ。なんと輝かしい光線があたり一面を真昼のように照らしている(ホンのささいなジャウダン)
 え~、明日からは3学期です。実力も近い。先輩はチビット勉強すればいいといっていたが、僕はアホにはなりたくな~い。
 最後に、今日は野村さんがいらっしゃいませんでした。故に平和な一日でした。
 それではこれでThe End

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このページは、宝徳 健が2009年6月 4日 15:55に書いたブログ記事です。

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