今日のこの内容を理解していただくためには、漢の高祖劉邦のエピソードを知る必要があります。劉邦が天下を統一したあと、論功行賞が問題になりま した。劉邦は、蕭荷(しょうか)を最大の功労者とします。蕭荷は、戦争には出ず、武器食料などを、送り続け、常に漢軍を飢えさせることはありませんでし た。項羽には、こういう人材がいませんでした。常に勝ち続けた項羽が最終的に負けたのは、兵站の差であったといってもよいのです。とうぜん、戦場で命を はった将軍たちがいちゃもんをつけます。でも、劉邦は「狩りをするとき、獲物を追ってしとめるのは犬だが、その犬の綱を解いて指図するのは人だろうが。お まえたちは、逃げ回る獲物を仕留めたにすぎない。その手柄は犬の手柄だ。そこへいくと蕭荷は、お前たちの綱を解いて指示をしたのだ。つまり人間の手柄 だ。」といって説き伏せました。その劉邦の話が今回出てきます。
タイトルは「賞、その親(しん)に私せず」です。
「先君が煬帝討伐の兵を挙げたとき、部下を率いてまっ先に馳せ参じたのはこの私だ。しかるに今回の論功行賞では、たかが文書係りにすぎない玄齢らを 勲功第一位にあげている。私は納得できない」
太宗が答えました。
「賞罰とは国家の重大事です。功ある者を賞し、罪ある者を罰する。これが適正に行われれば、功のない者は退き、悪をなる者は後を絶つ。それゆえ、賞 罰はあくまでも慎重に行わなければなりません。私は今、各人の功績を慎重に査定して賞を与えました。玄齢らは戦場での功こそないが、常に本営にあって、謀 をめぐらし、国家を安定させる方策を立ててくれました。叔父上もご存知でしょう。漢の高祖劉邦に仕えた蕭荷は、始終後方にあって天下平定の策を立て、その 策によって天下を取らせ、功績第一に認定されました。玄齢らの功績も、この蕭荷に優るとも劣りません。叔父上は最も近い血縁ですから、お望みとあればなん なりと差し上げたいくらいです。しかしながら、近い血縁だからといって、みだりに功臣と恩賞を同じくするわけにはまいりません」
これを聞いて功臣たちはこう語り合いました。
「陛下はこの上なく公平である。親族だからといって、えこひいきされなかった。われらもめったなことで不満を鳴らすまいぞ」
先に高祖(父)は、皇族の籍に連なる者を調べだし、兄弟や甥、いとこなど、幼児にいたるまで王に封じ、その数が何十人にも達していました。このこ とに関して、太宗は群臣たちにこう語りました。
「漢代以後、わが子と兄弟だけを王に封じる慣わしになっている。それ以外の遠い血縁は、漢代ように大功がなければ王に封じなかった。もし遠縁の者ま で残らず王に封じ、それぞれ大勢の使用人までに支給すれば、いたずらに民百姓を苦しめ、皇族の者だけがよい思いをするであろう」
こう言って、太宗は先に王に封じられた皇族のなかで、その後格別の功績のない者は、すべて、格下げしました。
【所感:宝徳(これは私見です)参考の本とはまったく違う解説です。】企業もまさに同じですね。経営者の親族だからといって、重く扱うと、廻りが必要以上に気を使います。私のサラリーマン時代の会社もそうでした。規模が大 きい会社だけに、よけい必要以上のことが起きます。経営者の親族を軽んじるということではありません。経営者の親族は、一般の幹部や社員の数倍もリーダー としての資質を磨くことが求められます。
経営者は徳をもって社員を引っ張っていく。これが最も大切ですね。
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