今回は森君です。「鬼頭さん、桧山さん、小佐野さん」って、ロッキード事件かな?古賀、粕屋、和白というのは、福岡市内から少し東に行ったところ にある、市や郡です。石橋、田中というのは先生の名前です。勉強に悩んでいますね。彼は一度辞めますが、もどってきました。そして、私の次のキャプテンに なります。
読者のための博多弁講座:「こうかる」=「でしゃばる」です。「きさ~ん、つやばつけて、こうかりやんなよ!」=「きみ、かっこうつけて、でしゃ ばってはだめだよ」というような使い方をします。なんと情緒のある言葉だ。
昭和52年1月29日 曇(わたしだって漢字は知っている) 信二の親(不肖の 子をもつとかなしいものだ)
ボールの数
藤君、いくら使っていなくても数えるのが後にかく人への義務であり、責任であり、親切だと思うし結局、ボクも同じ)
練習内容
東公園でまず ラグビー30分ハーフ
座談会(鬼頭さん、桧山さん、小佐野さんの気持ちがよくわかった)
ひまわり(いなかの遊びは純朴でおもしろい。それにくらべて都会(古賀市)でrichな生活におぼれているぼくは、乳母がゆるしてくれない。とにか くおもしろかった)
すもう(これまた、人間の闘争精神をきそうスポーツで、ぼくのように、未来はもう貴公子にきまっているぼくにはとても珍しかった)
その他
感想
この前、ぼくは岡村君流にいえば、ケンタイ炎で休んでいたので、順番をとばされたので久し振りである。どうもこのごろのテニス部は、ぼくに対しての風当
たりが強いようである。出る釘は打たれるというが、正にその通りで、粕屋や和白でpoorな(ぼくには想像できないような)生活をしている彼らには、ぼく
の貴公子のような生活がねたましいらしい(ぼくの尊敬する山本哲也先生風にいえば教養の差、いや、生活の差であろうか)。しかも彼らは先輩と結託してぼく
をいびっている。なげかわしいことだ。
話はがらりと変わるし、文体もがらりと変わる。もう今日のテストの結果、先生から見せてもろうたら、もうガックリきてしもうた(「もう」を2回つ かったのは強調、しばしばいうが、これが教養の差である)。石橋君からは「勉強不足たい」とけなされるし、田中からは「はよ、テニス部やめー」といつもい われるし(この前はトレーニング中にいわれた)。もうなさけなか。一時は本当に胃が痛くなるまで考えて、心がグラついたが、ばってん、やっこさん(Aの方 である。Bは内心自分と同じように落ちたのをよろこんでいる)からのあたたかいはげましにあって、もうひとふんばりすることにしたったい。
この文体の相違は、前者はデアル調で説明文的な要素をもっており、しかも事実は端的にかたっている。後者は一見卑近な話し方でかいてはいるが、そ れに事実をぼかすのではなく、事実と描写の融合をはかっているのである(この意味がわからない人は山本哲也大先生にきいてください)。
コメントする