戦国策

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 久し振りのシリーズです。今日は「救援のタイミング」です。ブログが入るときと入らないときがあるので、このテーマは、分割せずにいっきにいきます。

   魏が韓の南梁(なんりょう)に攻撃をかけました。韓は斉に救援を要請します。斉の威王は重臣会議を開いて対策をはかりました。

威王「今すぐ援軍を送るべきか、それとも、しばらく情勢を見てからにすべきか、いずれにしよう」

重臣A「ぐずぐずしていれば、韓は魏に降りましょう。すぐに援軍を送るべきです」

重臣B「それはなりませんぞ。韓・魏両軍が戦力を消耗しないうちに援軍を送れば、魏軍の矛先はわが方に向けられ、我が国は逆に韓の指示を仰ぐ始末と なりましょう。魏のねらいはもともと韓にあるのです・韓が危うくなれば救いを求めてくるのは、我が斉をおいて外にありません。そこで、韓との親交を維持し ておき、魏軍が戦力を消耗するのを待ってから援軍を繰り出すのです。そうすれば、我が国は一段と重きを加え、利益も名誉も労せずして得られるというもので す」

威王「なるほど」

 威王は、韓の使者に救援を承知する旨のの返答を与えました。韓は、斉の救援を心頼みにして魏に立ち向かいましたが、五戦してすべて敗北を喫しまし た。重ねて斉に救援を要請しました。ここで斉は、ようやく重い腰をあげ、軍を動員して魏軍に総攻撃をかけまた。そして、さんざんに打ち破りました。これで 魏も国力を消耗しました。韓もしかりです。結果、魏・韓両国の王は、斉王に臣従することとなりました。


 外交の冥利ですね。こういうものをシビリアンコントロールと言います。今の日本はシビリアンコントロールではなくて、官僚支配の軍でしかありません。

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このページは、宝徳 健が2009年8月 2日 06:52に書いたブログ記事です。

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