今回は、また森君です。私の次のキャプテン。部活と勉強に悩みまくった森君。でも、京都大学に進学しました。おみごと。
いよいよ、今の、全国高校選抜の前身、第一回西日本選抜の初日です。私はこの開会式で、選手宣誓をしました。テレビにも映り、テニス雑誌にも載りまし
た。スマッシュという当時の雑誌です。当時、我が家は貧乏で、私は、ボロボロのトレーナーを着て選手宣誓をしました。テレビで見ていた、母が、「どうし
て、選手宣誓をすると言ってくれなかったの?ごめんね。買ってあげればよかった・・・」と申し訳なさそうに言いました。私は、テレビにで開会式が放映され
ることしか言っていませんでした。選手宣誓をすると言ったら、母は無理をしてトレーナーを買うと思って、言えませんでした。
あのときの母のすまなさそうな顔は今でも忘れることができません。
九州女とは九州女子高校のことです。ここのテニス部の女の子はかわいかった。おっと、我が福高の女子もかわいかったですよ・・・・。
昭和52年3月20日(日) 森 周司
感想
おれが何故2日つづけてかかないかんのや。理由その1、宝徳さんが僕にいってくれなかった。宝徳さんのnot kind なことがよくわかった。くそ~
(うそです。合宿がこわい)。理由その2、おれがだしわすれた。理由1と2をはかりにかけたら、ちょっぴり1が重かった(じゃうだんです)。とにかくしか
たがない。
しかし、それにしても補助員はきつい。無茶苦茶でございまするかな。Why?
because、そら2年はスコアボースでよかろうばってん、一年は審判させられて1試合ごとに身をきられる思いがして(岡村はすこしやつれたみたい だった)(ているのに、but 最後に時々変わってもらったしだれにでも良心があるのです)。しかし、日当が500円とは何事じゃ。労働基準法に違反する ぞ。そりゃぼくたち元3組(そう元という字がつくようになったのです)は、肉体労働者として鍛えられてはいるけど、ヤッコの九州女や藤(my wife?)のようなひ弱なやつにはきつかっただろう。
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