福岡高校テニス部日誌

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 今回もなぜか安河内A君です。「いっちょん」とは、博多弁で「ぜんぜん」という意味です。「吉倉さん」とは、私たちの一つ上の先輩です。お寺の息子さんで、お盆のときなどは、吉倉さんも檀家へのお経をあげに行っていました。たま~に、ちょっとだけ、檀家からのお礼でおごってくれました。いいんかいな~。

昭和52年4月3日(日) はれ  A.YAKKO

 合宿最後の日。合宿にはいって曜日の感覚がいっちょんわからん。というのも休みのせいもあるが、テレビを全然みないからだと思った。
 朝、トレーニングをしないで、柔道場、旧体育館のそうじをした。そうじというのも、朝早くからすると気持ちのいいものだと思った。
 練習も午前中基礎練習と試合を何試合かして終わった。昼めしを食べておわったとき、きつかったと思いおこせたことが多かったが、何か感激したような気持ちが浮かんだようだった。昼から信二たちと打ったが、さすがに疲れたせいか、あまり動けなかった。しかし、何度も打っているうちにバックハンドストロークの自信がついた。これも、収穫だと喜んだ。ろれに、吉倉さんのさしいれのジュースが飲めたし、今日は帰ってゆっくり寝ようと思った。
 帰り、お腹が減ったので、東公園の売店でパンを買って食べ、吉塚駅まで行ったとき、1日に10本もないというみすぼらしい電車の時刻にちょうどまにあった。ホームにつくと電車はまもなく発車しようとした。そのとき信二と岡村が和白根性を出して、ぼくをつかまえようとした。もしも、この電車に乗り遅れたら、次は1時間半も待たなくてはならない。切符をもう買っているので必死に信二たちをふりきって乗り込んだ。すると岡村が外からビスコをみせびらかして頭にきた。こんど岡村に黒棒をみせびらかしてやろうと思った。





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このページは、宝徳 健が2009年10月14日 06:23に書いたブログ記事です。

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