福岡高校テニス部日誌

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 昨日に引き続いて浅っちんこと浅川君です。二日分まとめて掲載します。この日から、毎日少年少女九州テニス大会です。全員が出場できるチャンスがある大会です。私は、高校入学の時に、一度浪人をしていますので、年齢制限で出場できませんでした。「いね」とは、西日本の言葉で「死ね」という意味です。埜田くんは、私たちの代のレギュラーです。生田さんは、我らがテニス部のマドンナ、女子マネジャーです。松枝君も同期。大西は柳川高校の超大物レギュラーです。全国上位ランカーです。体調を崩して棄権(デホ)しました。まあ、大西に勝ったのは、我が高校では、松枝君だけでしょう(笑)。

昭和52年3月24日   浅川 浩

 Tohが一回戦を勝ち抜いて2回戦へ。あと1年生ゼンメツ。みじめ。私めがしんぱんをした第8コート、Mrオカムラの試合、0-8でまけ。ど・どーゆーこっちゃ、がんばらんかい。しかし岡村の相手はきたない。セカンドを下からいれよる。プレイする資格ナシ!!いねっ!! いね!!
 ところでI amは3-8でまけ。くっそ~みじめ。埜田さんが負けた。信じられれん。多分、絶妙のネットプレーとそのハイパワーをいかんなく発揮できなかったためであろう。

昭和52年3月25日  浅ちん

 浅ちん・岡村組  0-8で戸畑に惜敗!! これ以上書きたくない。「風邪がなくて天気がいいのにサーブが入らんということは・・・・・やねぇ」と生田さんに胸に突き刺さるような言葉をいただきました。ググッ!それから松枝さんが大西を破りました。すごいのら~。グググ~。大西にデホ勝ちするとは!!福高一の実力ではないでしょうか。明日は東公園で試合があります。



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このページは、宝徳 健が2009年10月 8日 05:57に書いたブログ記事です。

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