このシリーズは右のカテゴリー「戦国策」に格納されています。斉の国の公子(皇族の一族)靖郭君(せいかくくん)の話です。この頃のお金持ちは、家に「食客」を寄宿させていました。ランクはあるのですが、食客に衣食住を保証し、その代わり、食客は、一旦有事の際には、命を投げ出して活躍することが求められます。有名な孟嘗君(もうしょうくん)などは、3000人もの食客を抱えていたといわれています。まあ、中国は、白髪3千畳などの大げさな表現をしますので、真偽は定かではありませんが。
さて、今日のお話です。この戦国策に載っている話は、絶妙なかけひきがあります。
靖郭君の食客である斉貌弁(せいぼうべん)は欠点の多い男でした。別の食客がそのことで靖郭君を諌めました。でも、靖郭君は聞き入れませんでした。その別の食客はいとまを請うて去りました。息子の孟嘗君もこっそり諌めました。靖郭君はひどく立腹しました。
「きさまらを殺し、家を滅ぼしても斉貌弁を満足させるなら、どんなことでもするぞ」
そして、斉貌弁を最高の屋敷に住まわせ、長男をつきそわせて、朝夕の食事の世話までさせました。
数年経ちました。斉では、威王が亡くなって、宣王が跡を継ぎました。靖郭君は宣王とそりがあわず、大臣を辞めて領地の薛(せつ)に帰ってきました。
まもなく、斉貌弁はいとまを請いました。宣王に会いに行くというのです。靖郭君は言いました。
「宣王は私を憎んでいるから、あなたが行けば殺されるにちがいない」
斉貌弁「むろん、生きて帰るつもりはありません。ぜひ行かせてください」
斉貌弁は、斉の都にのぼりました。それを聞いた宣王は、怒りをおしかくして待ち構えていましたが、斉貌弁の顔を見るなり、切り出しました。
宣王「なんでも靖郭君は君を可愛がって、意見をよく聞くそうだが」
斉貌弁「いかにも可愛がられていますが、私の言うことなどは聞き入れません。実はこんなことがありました。あなたがまだ太子でおられたころのこと、私は靖郭君にこう言ったのです。『あの太子は人相がよくない。あごは飛び出し、目はやぶにらみです。たしかに謀反の相です。彼を廃して、かわりに衛姫(えいき)が産んだ幼い子供を太子にしたらいかがでしょうか』。すると、靖郭君は、『とんでもない。そんんあいたわしいことを』と、泣いて反対しました。もしあのとき、私の言うことを聞いていたら、今のようなことにはならなかったでしょう。
また、こういうこともありました。領地のに薛(せつ)に帰ってきてからのことですが、楚の大臣が、薛に数倍する土地をやるから薛と交換して欲しい、と申し入れてきました。そのときも、私は、是非そうするようにすすめたのですが、靖郭君は、『この土地は亡くなった先王からいただいたものだ。いくら今の王に憎まれているからといって、それでは先王に相すまぬ。しかも、ここには先王を祀った廟がある。それを楚に与えることなどできない』。そう言って、またもや私の言うことなどは聞こうとしませんでした」
宣王は、フーッと嘆息しました。顔には感動の色がうかんでいます。
「そうか。それほどまでにわたしのことを思ってくれていたのか。私は未熟者で、まったく気づかなかった。ひとつ、私のために、靖郭君を呼び寄せてくれないか」
斉貌弁は、かしこまってお受けしました。
靖郭君は、威王から拝領した衣冠をつけ、拝領の剣を帯びて都へのぼりました。宣王はみずから郊外まで出て迎えました。そして、その姿を見て涙を流しました。
宣王は靖郭君を迎えるとさっそく宰相になって欲しいと頼みました。靖郭君は辞退しました。たってのたのみに、やむなく一度は受けましたが、七日目に病気を口実にして辞職を願い出ました。三日たって、ようやく聞き入れられました(中国人は、こうやって物事を引き受けます。すぐに受けてはだめなのです)。
人からなんと言われても斉貌弁を守った靖郭君に斉貌弁が応えたお話でした。シャンシャン。
さて、今日のお話です。この戦国策に載っている話は、絶妙なかけひきがあります。
靖郭君の食客である斉貌弁(せいぼうべん)は欠点の多い男でした。別の食客がそのことで靖郭君を諌めました。でも、靖郭君は聞き入れませんでした。その別の食客はいとまを請うて去りました。息子の孟嘗君もこっそり諌めました。靖郭君はひどく立腹しました。
「きさまらを殺し、家を滅ぼしても斉貌弁を満足させるなら、どんなことでもするぞ」
そして、斉貌弁を最高の屋敷に住まわせ、長男をつきそわせて、朝夕の食事の世話までさせました。
数年経ちました。斉では、威王が亡くなって、宣王が跡を継ぎました。靖郭君は宣王とそりがあわず、大臣を辞めて領地の薛(せつ)に帰ってきました。
まもなく、斉貌弁はいとまを請いました。宣王に会いに行くというのです。靖郭君は言いました。
「宣王は私を憎んでいるから、あなたが行けば殺されるにちがいない」
斉貌弁「むろん、生きて帰るつもりはありません。ぜひ行かせてください」
斉貌弁は、斉の都にのぼりました。それを聞いた宣王は、怒りをおしかくして待ち構えていましたが、斉貌弁の顔を見るなり、切り出しました。
宣王「なんでも靖郭君は君を可愛がって、意見をよく聞くそうだが」
斉貌弁「いかにも可愛がられていますが、私の言うことなどは聞き入れません。実はこんなことがありました。あなたがまだ太子でおられたころのこと、私は靖郭君にこう言ったのです。『あの太子は人相がよくない。あごは飛び出し、目はやぶにらみです。たしかに謀反の相です。彼を廃して、かわりに衛姫(えいき)が産んだ幼い子供を太子にしたらいかがでしょうか』。すると、靖郭君は、『とんでもない。そんんあいたわしいことを』と、泣いて反対しました。もしあのとき、私の言うことを聞いていたら、今のようなことにはならなかったでしょう。
また、こういうこともありました。領地のに薛(せつ)に帰ってきてからのことですが、楚の大臣が、薛に数倍する土地をやるから薛と交換して欲しい、と申し入れてきました。そのときも、私は、是非そうするようにすすめたのですが、靖郭君は、『この土地は亡くなった先王からいただいたものだ。いくら今の王に憎まれているからといって、それでは先王に相すまぬ。しかも、ここには先王を祀った廟がある。それを楚に与えることなどできない』。そう言って、またもや私の言うことなどは聞こうとしませんでした」
宣王は、フーッと嘆息しました。顔には感動の色がうかんでいます。
「そうか。それほどまでにわたしのことを思ってくれていたのか。私は未熟者で、まったく気づかなかった。ひとつ、私のために、靖郭君を呼び寄せてくれないか」
斉貌弁は、かしこまってお受けしました。
靖郭君は、威王から拝領した衣冠をつけ、拝領の剣を帯びて都へのぼりました。宣王はみずから郊外まで出て迎えました。そして、その姿を見て涙を流しました。
宣王は靖郭君を迎えるとさっそく宰相になって欲しいと頼みました。靖郭君は辞退しました。たってのたのみに、やむなく一度は受けましたが、七日目に病気を口実にして辞職を願い出ました。三日たって、ようやく聞き入れられました(中国人は、こうやって物事を引き受けます。すぐに受けてはだめなのです)。
人からなんと言われても斉貌弁を守った靖郭君に斉貌弁が応えたお話でした。シャンシャン。
コメントする