どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝

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 今日は番作と手束の馴れ初めの話をする予定でしたね。
 でもその前にちょっと、理解促進のために当時の時代背景を説明します。

 
 南総里見八犬伝が書かれたのは江戸時代です。作者は滝沢馬琴です。でも、南総里見八犬伝が書かれている時代は室町時代です。ここのところがわからないと頭が混乱します。南総里見八犬伝を読む上で、当時の時代背景で知っておく必要があることを挙げておきます。

【鎌倉】
 鎌倉時代だけではなく、室町時代にも鎌倉には鎌倉府がおかれました。関東の政治・文化の中心です。そこには鎌倉公方という大きな権力を持った人がいました。時代が進むに連れて、鎌倉公方と関東管領上杉氏が対立して、鎌倉府が解体し政治都市としての機能を失っていきます。でも、武士にとって、鎌倉というのは憧れの地であったのです。

【結城合戦(ゆうきかっせん)】
 永享十二年(1440年)、室町幕府第6代将軍足利義教(3代義満の3男)に対し、鎌倉公方足利持氏の残党及び関東の豪族結城氏が起こした反乱です。この結城合戦の前に、足利持氏が将軍になろうと反乱を起こします。それは、後ほど本文の中で説明します。

【鎌倉管領】
関東管領のことです。室町気に武家政権の根拠地、関東の支配のために、鎌倉府がおかれ、そこに、前述した鎌倉府に鎌倉公方が置かれました置かれました。この鎌倉公方を補佐する人が関東管領だったのです。


 では、明日、続きを書きますぞー。

 






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このページは、宝徳 健が2009年11月27日 20:44に書いたブログ記事です。

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