戦国策

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 さて、今日から趙の話です。最初は、刺客の話です。この話は史記にも載っています。史記はあまり、刺客の話は載っていないのですが、今日紹介する「予譲(よじょう)」は載っています。ひとつの男の生き方なのでしょう。


 予譲は、はじめ范氏(はんし)と中行氏(ちゅうこうし)に仕えましたが、あまり重く用いられませんでした。その後知伯氏(ちはくし)に仕えたところ、知伯氏は予譲に目をかけました。

 知伯氏は、かなり評判の悪い男でした。そして、知伯氏は、韓・魏・趙の連合に殺されてしまうのです。
知伯氏を最も憎んでいた趙の襄子(じょうし)は、知伯氏の頭蓋骨を便器にしました。

 知伯氏に仕えていた予譲は山中に逃れました。「ああ、士はおのれを知る人のために死に、女はおのれを愛する者のために化粧する。主君の恨みは必ずはらすぞ」とため息をつきながら言いました。

 街に出て、姓名を変えて、襄子の宮殿に入り込みました。予譲は厠の壁を塗り替える仕事にありつき、襄子が厠で用を足すときに、暗殺する機会を待ちました。

 襄子が厠にはいろうとしたとき、襄子は胸騒ぎがしました。壁塗りの労務者を捕えてみると、予譲ではありませんか。しかも、コテに刃がしこんでありました。

予譲「お前は何者だ」
側近「知伯氏に仕えていた予譲だ」
予譲「おのれ、殺してくれる」
襄子「待て! この男は義士だ。私が用心すればすむ。知伯はすでに滅んで子孫もいないのに、家臣が仇を報いようとする。これこそ天下の賢人だ」

 と言って予譲を放免しました。

 さて、ここからがすごい話です。つづく。



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このページは、宝徳 健が2009年12月 1日 09:38に書いたブログ記事です。

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