このシリーズは右のカテゴリー「戦国策」に格納されています。
秦からの使い楼緩(ろうかん)が趙王に公甫文伯(こうほぶんぱく)の母の話を知っているか聞いて、趙王が、「知らない」と答えたところまででした。
秦からの使い楼緩(ろうかん)が趙王に公甫文伯(こうほぶんぱく)の母の話を知っているか聞いて、趙王が、「知らない」と答えたところまででした。
楼「魯の国に仕えていた公甫文伯(こうほぶんぱく)が病死したとき、後を追って自殺した女が十六人も出ました。 文伯の母は、それを聞いても涙を流しません。家来が、『子供に死なれた悲しまない親がありましょうか』とたずねたところ、母は、『賢人の孔子が魯の国を追われたとき、あの子はお供をしませんでした。いまあの子が死ぬと、後を追って自殺する女が十六人もでました。これでは、立派な人物につくさずに、女ばかりにつくしたと言われてしまいます。』と答えたそうです。そのため賢母と言われています。ところが同じことを母親ではなくて、妻が言えば、嫉妬深い女と言われましょう。同じことを言って、言う人が違えば、相手の受け取り方が違います。秦から来たばかりのわたしが『与えるな』と言えば、趙のためになり、『与えよ』と言えば、秦のためを考えている、と思われる。ですから、お答えしたくないのですが、かりに王のためを考えれば、与えた方がよいを私は思います」
趙王が「なるほど」と言いました。そして、今度は自分の重臣に聞きます。さて、ここからが、古代鳩山版です。次回をお楽しみに。つづく。
趙王が「なるほど」と言いました。そして、今度は自分の重臣に聞きます。さて、ここからが、古代鳩山版です。次回をお楽しみに。つづく。
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